鷹とタフタ

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鷹は鳥のひとつですよね。鷹は、ホーク h awk とも呼ばれます。
鷹が出てくるミステリに、『マルタの鷹』があります。1930年に、ダシール・ハメットが発表したハードボイルド。愛読者の中ではハメットの最高傑作だとされています。
1941年には、ハンフリー・ボガート主演で映画化もされているほど。
1957年の日本映画には、『鷲と鷹』があります。井上梅次監督の日活映画。
石原裕次郎と三國連太郎の共演でしたね。
鷹狩は、「ホウキング」と呼ばれて、古代から行われていたという。鷹を飼い馴らして、その鷹を使って、獲物を捕らえる狩りのやり方です。日本にも、「鷹匠」があるように、同じく古代から鷹狩があったらしい。
西洋でも日本でも、鷹狩は少なくとも貴族的な競技という面があったようですね。もっといえば王様や天皇にこそふさわしい遊戯であると。
どうして鷹狩かと申しますと。鉄砲が発達する前は、ホウキングが有効だったから。
英國では、リンカーンシャー、ボストンで、鷹の定期市があって。ここで鷹が取引された。ことにノルウェイ産の鷹に良い値段がつけられたとのことです。
鷹特有の長い翅のことを、「ビームズ」 b e ams と呼んだらしい。鷹の脚を、「アームズ」arms 。嘴の上の部分を、「ビーク」 b e ak 。嘴の下の部分を、「クラップ」c l ap
などと名前があったそうですね。
鷹が出てくる随筆に、『みそつかす』があります。幸田 文が1951年に発表した文章。

「おみやげに寄木細工の入れ子の箱を貰つた。箱よりも、もつと心惹かれるもう一ツのおみやげがあつた。それは片目の鷹だつた。」

幸田 文が女学生の頃。お母さんが箱根に静養に行って。その時の土産の話。
鷹は、籠で飼っていたものの、結局は逃げてしまう。
それで文は、とても残念な想いにかられて。
幸田 文は『鷲』の最後の一行をこのように締め括る。

「人の心は、愛撫することのできなかつたものに、案外とらへられてゐるものだと云へるかもしれない。」

幸田 文は、1990年に八十六歳で世を去るまで、着物を愛し続けたお方。中でもお好きだったのが、子持格子。茶と鼠の、子持格子。
中央公論社版の「幸田文全集」の装幀にも、この生地が用いられています。
この「幸田格子」は、鎌倉の染色家、浦野理一が手織りにしたものだったという。
幸田 文の『みそつかす』には、リボンの話も出てきます。文がまだ少女の頃に。文のおばさんから、「リボンをわけておあげ」と頼まれる場面。

「………一番のお職は幅廣のタフタで、紅や薄紫の薔薇の花模様が浮きだしてゐた。」

ここでの「お職」も、今は懐かしい言葉かも知れませんね。「人気者」、「売れっ子」の意味です。
文は、たくさんのリボンの中でも「タフタ」がなによりのお気に入りで、そればかりはわけてあげることができなかった、と書いています。
「タフタ」t aff et a は、「琥珀織」のことです。表面に美しい波目があらわれる絹織物。
英語の「タフタ」は、1355年頃から用いられているようです。
どなたかタフタのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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