トルストイとトゥイル

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トルストイは、ロシアの文豪ですよね。
レフ・トルストイ。レフ・トルストイは、1828年9月9日に、伯爵の家柄に生まれています。
『戦争と平和』はあまりにも有名でしょう。あるいは、『アンナ・カレーニナ』。『復活』などなど。
生前のトルストイに会った日本人に、徳冨蘇峰がいます。トルストイに会うために、ロシアを旅したお方であります。
明治二十九年のこと。徳冨蘇峰が明治二十九年に書いた『トルストイ翁を訪ふ』に、詳しく述べられています。
1896年10月8日。朝の7時50分。「ゼセッカ」の駅に、徳冨蘇峰は着いています。モスクワを発った列車で。「ゼセッカ」は、トルストイ邸に近い鉄道の駅。
「これからトルストイの屋敷に行く」と駅長に言ったら、親切で。
「荷物を駅で預かりましょう、誰かにトルストイ邸まで送らせましょう………」
この日、徳冨蘇峰が会ったトルストイの服装はどうだったのか。

「………恰も洗礼のヨハネの如く、皮の帯を締め、露国百姓の常服著け、純然たる農夫也。」

徳冨蘇峰は『トルストイ翁を訪ふ』の中に、そのように書いています。
では、食事はどうだったのか。

「………第二は麺麭を揚げたるものに、木茸の汁をかけたるもの也。之に副ふるに馬鈴薯のアンを入れたる饅頭を以てす。……………。」

などと記しています。
一方、迎えたほうのトルストイは、どうであったのか。

「………彼ら、日本人はわれわれ教会のキリスト教徒よりはるかにキリスト教に近い。とても彼らが好きになった。」

トルストイは10月10日の『日記』に、そのように書いています。
ここでの「彼ら」とは、徳冨蘇峰と秘書の、深井英吾を指しています。徳冨蘇峰は、
翻訳家の、小西増太郎の紹介状を持って、トルストイ邸を訪ねたという。

トルストイが出てくる小説に、『青春彷徨』があります。1904年に、ヘルマン・ヘッセが発表した物語。

「彼らの神の名は、あるいはトルストイであり、あるいは仏陀であった。」

『青春彷徨』の中には、こんな描写も出てきます。

「新調の綾織ラシャの服を着、書物やその他の持ち物のいっぱい詰まった小箱を持って、私は汽車でやってきた。」

ここでの「綾織」は、トゥイルのことでしょうね。

「………いみじき君達なれど、えしも着給はぬあやおりものを、心にまかせて着たる………」。

清少納言の『枕草子』にも、そのように出ています。綾織物の歴史の古いことが窺われるでしょう。

「………縮緬やら綾織やらの坐布團に坐らさるる窮屈さ……………………。」

幸田露伴が明治二十四年に発表した『いさなとり』の一節にも、「綾織」が出ています。
どなたかウール・トゥイルのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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