パントリイとパナマ

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パントリイは、食品置場のことですよね。あるいはまた、食料品貯蔵室でしょうか。
パントリイ p antry は、1325年頃からの英語なんだとか。古いですねえ。
英語の「パントリイ」は、ラテン語の「パニス」pān is から来ているんだそうです。「パニス」は、パンの意味。ということはもともとは「パン置場」だったのでしょうか。
パントリイが出てくる小説に、『阿房列車』があります。昭和二十七年に、内田百閒が発表した物語。

「………すぐには席がなかつたが、通り掛つた一等車のボイがパントリに近い窓際に二人せきを豫約して取つてくれた。」

この時、内田百閒はどんな靴を履いていたのか。『阿房列車』の中に、ちゃんと書いてくれているのです。

「私の靴は昭和十四年に、誂へて造つた上等品で、キッドの深護謨である。深護謨と云ふ靴の形に馴染みがない人には、昔の枢密顧問官が穿いた様な靴だと思へばよろしい。」

そんなふうに書いています。が、私にとっては、「枢密顧問官」のほうを説明して頂きたいのですが。
まあ、それはともかく。ひと言で申しますと、「サイドゴア・ブーツ」のことなのです。脇ゴム式のハーフ・ブーツ。キッドは、子山羊の革。たしかに軽く、光沢のある革なのですが。
『阿房列車』はひとつの例で、内田百閒の鉄道好きは有名でしょうね。とにかく東京から大阪まで行って。つぎの上り列車で東京に帰ったほどのお方。
「私は鉄道に乗るのが目的で、大阪に来るのは目的ではない」。
そんな意味のことをおっしゃったらしいのですが。
昭和二十七年、『中央公論』十二月号で、鼎談。阿部眞之助、小汀利得、そして、内田百閒の三人で。この中、なぜ食堂車の食事が美味いのかについて、こんなふうに語っています。

「………鹽加減はスピードで出ますよ。はむであらうとビフテキであらうと、それが八十粁、九十粁で走つてゐると云ふことを御存じなくて食べては駄目ですよ。」

当時、世間のご意見番と称されたお二人に対して、立派な 発言をなさっています。

そうそう、パントリイの話でしたね。パントリイが出てくる小説に、『寝園』があります。
横光利一が、昭和七年に発表した長篇。

「ふとそのとき、果物の殘りを積んだままパントリイの方へ揺れていくボーイの後から………………」。

これは避暑地のホテルでの様子。
昭和八年に、横光利一が書いた小説に、『時機を待つ間』があります。この中に。

「彼は一番彼に似合ふパナマを絶えず冠つて村村の特志の婦人の所を廻り歩き……………………。」

ここでの「彼」は、宮本という人物。「宮本」は、日本でパナマ帽を作ろうと考えた男だと設定されています。もちろん、小説、創作ですからね。
もし、エクアドルから原料の「パナマ草」が輸入できたなる、パナマ帽を日本で編むのも不可能ではないでしょう。
でも、より細く裂いて、より細かく編むのは実際問題、難しいでしょう。
では、今、日本でのパナマ帽はどのようにして作られるのか。やはりパナマ帽を「帽体」で輸入することが多いようです。「帽体」とは、帽子の原型のことです。ここから「型」に入れて仕上げるのが、一般的でしょう。
どなたか私にいちばん似合うパナマ帽を作って頂けませんでしょうか。

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