トマトとトルコ帽

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トマトは、赤い野菜のことですよね。

「トマトが赤くなれば、医者が青くなる」

そんな言葉さえあるんだそうですが。
ところでトマトは野菜なのか、果物なのか。
この間、店を歩いていて。「フルーツトマト」という宣伝を見ました。わざわざ「フルーツ・トマト」というからには、やはり野菜のひとつなんでしょうね。
トマトはイタリア料理には、欠かせません。完熟トマトを切って、フライパンでゆっくり炒めるだけ。味付けは、ニンニクと鷹の爪。あとは胡椒と塩だけ。パスタやピッツァなど、応用範囲の広いものです。
子供の頃、トマトが嫌いという子が珍しくありませんでした。たぶん、トマト特有の匂いが苦手だったのでしょう。
昔話いたしますと。「一膳飯屋」というのがありましてね。ここの献立に、「冷やしトマト」が。これをつまみに一献傾けたりしたものであります。
でも、ヨオロッパでもアメリカでも、十九世紀まではなぜかトマトには人気がなくて。
昔、アメリカのニュウジャージー州に、ロバート・ギボン・ジョンソンという人物がいまして。このお方、トマトにまつわる迷信を追い払おうと、決心。
1820年9月26日に。ニュウジャージー州のセイレムの裁判所の前で。
籠いっぱいのトマトを食べた。これで、ジョンソン、なにごともなかったので、それから人々がトマトを口にするようになったんだとか。

トマトを詠んだ詩に、『思ひ出』があります。北原白秋の名詩集。

紅のトマト切り、ウヰスキイの酒や呼ばん、
ほこりあるわかき日のために。

これを素直に読みますと。白秋はトマトでウイスキイを傾けたのでしょうか。
白秋の『思ひ出』には佳い詩がたくさんあります。

青いソフトにふる雪は
過ぎしその手か、ささやきか、
酒か薄荷か、いつのまに
消ゆる涙か、なつかしや

これ、帽子屋の宣伝に使えませんでしょうか。

明治二十年代に、トマトを植えた家があります。齊藤茂吉の実家。

「さて美麗なトマトを食べようとしますと變な味でちつともおいしくありません。」

齋藤茂吉は、昭和十三年に書いた随筆、『赤いトマト』の中に、そのように出ています。
明治のトマトは、日本人には合わなかったのでしょうか。
齋藤茂吉がヨオロッパに旅するのは、1922年のこと。この時の紀行文は、『滞歐随筆』に詳しく書かれています。

「女の帽子は或時は小さい土耳古帽のやうな形に黑い布が附いたのを顎のとこで結んだゐた。」

トルコ帽は、日本での俗称。
正しくは、「フェズ」 f es と言います。
どなたか小さいトルコ帽を作って頂けませんでしょうか。

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