博多とパッチ

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博多は、九州、福岡のことですよね。
博多ならではの美味しいものも少なくありません。「博多明太子」だとか。まったく同じものでも、福岡明太子より「博多明太子」のほうが、より美味しく感じるのはなぜなのでしょうか。
辛子明太子は、もともとは韓国の食べ物だったそうですね。昔、日本から仕事で韓国に行った日本人が、現地でその味を覚えて、後に作ったのがはじまりだと考えられています。

博多はなにも明太子だけでなく、おしゃれとも少なからず、関係があるのです。ひとつの例ですが、「博多織」。着物を着るとき、「博多帯」は不可欠でありましょう。男の着物はあの博多帯一本で、着物が締まってくれるのですから、不思議なくらいです。

「守貞幼年の時、京坂市民の息子は博多帯を用ふとえへども……………

喜多川守貞著『近世風俗志』に、そのような一節が出ています。ここでの「守貞」が、ご自分のことを言っているのは、明らかでしょう。つまり、「自分がまだ子供の頃には」と言っているわけです。
喜多川守貞は、文化七年頃の生まれだと考えられています。ということは江戸初期には、「博多帯」がすでに知られていたのでしょう。
喜多川守貞は『近世風俗志』の中で、博多帯について詳しく述べています。博多帯の特徴的な図柄、「独鈷」についても。博多帯の柄のことを、「一本独鈷」なんて言うではありませんか。
「一本独鈷」もあれば、「三本独鈷」もあります。この独鈷は、むかしの仏具。坊さんが経を唱えるときに右手に持った道具。当時としては宗教的な意味があったのでしょう。

「………極上息子博多巾二寸を限とすべし。」

そんな文章も、『近世風俗志』には出てきます。ここでの「極上」は、上流階級の意味なんでしょうか。今の数字で申しますと、6センチを超えるのは野暮とされたものと思われます。
また、喜多川守貞の『近世風俗志』には、こんな話も出てきます。

「三都とも絹ぱつちは花色を専らとし、また不易の物とす。」

ここでの「三都」が、京、大坂、江戸を指しているのは、いうまでもありません。また、「ぱつち」は今日の「パッチ」でしょう。さらに「不易の物」は、一時の流行りではありませんよ、と言っているわけですね。
少なくとも江戸期の「ぱつち」が多く絹製だったことが窺えるでしょう。

「五分だるみ、一寸だるみ等云へり。」

『近世風俗志』にはそんなことも書いてあります。
これはご想像の通り、パッチのゆとりのこと。実寸から、五分のゆとりなのか、一寸のゆとりなのか。まあ、その時代にも洒落者はいたでしょうからね。

パッチが出てくる長篇小説に、『細雪』があります。谷崎潤一郎の名作ですね。
『細雪』は何度も映画化されています。また、たしかに映画化して頂きたい傑作であります。

「………大島の二枚襲の裾からメリヤスのパッチを覗かせながら長椅子に掛けて見物している貞之助に……………。」

もちろん貞之助は着物姿。大島紬の下に、パッチを合わせているのでしょう。
谷崎潤一郎が『細雪』を書きはじめたのは、昭和十七年のこと。昭和十八年には「贅沢すぎる」として、発禁。
昭和十九年には、谷崎潤一郎ひそかに自費出版しています。「執念」以外の形容が見つかりません。
どなたか絹の五分のパッチを仕立てて頂けませんでしょうか。

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