キリストは、イエス・キリストのことですよね。世にキリスト教をはじめられたお方であります。
でも、私がここでキリストについて語ることはありません。いや、語るほどの才を持っておりません。その代りに、「おバカさん」についてお話いたします。
キリストと「おバカさん」はまったく関係ないようでもありますが。そうとも言いきれないのですね。
昭和三十四年に、遠藤周作が発表した小説に、『おバカさん』があるのは、ご存じでしょう。このおバカさんのモデル、ジョルジュ・ネランはれっきとしたカトリックの司祭なのです。
遠藤周作の『おバカさん』では、「ガストン」の名前になっています。が、作者の遠藤周作も認めているように、物語の「ガストン」はつまり、フランス人司祭のジョルジュ・ネランなのであります。
つまりネランはガストンであり、ガストンはおバカさん。ということはネラン司祭はおバカさん。このように考えても、それほど大きな間違いではないのでしょう。
その昔、一時期、ネラン司祭は新宿で、「エポパ」というバアを開いていました。新宿の市役所通りで。
ネラン司祭は新宿でバアを開いていただけでなく、チョッキに蝶ネクタイ姿で、シェイカーをも振っていたのです。
ジョルジュ・ネランは、1952年に、日本に。もちろん教布教のために。2011年、小金井市で、世を去っています。九十一歳でした。
ジョルジュ・ネラン神父の人生を識るには、『おバカさんの自叙伝半分』があります。ネラン神父はこの著者を「日本語」でお書きになったという。
また、『おバカさんの自叙伝半分』には、当然のように遠藤周作が序文を寄せています。遠藤周作は「序文」の中で。
「笑われ、馬鹿にされ、しくじりながら、この男は、しかし日本人のなかに愛という種を残して、遠い青空に去っていく。」
そんなふうに書いています。文中の「この男」が、ジョルジュ・ネランを指しているのは、言うまでもないでしょう。
ジョルジュ・ネラン著『おバカさんの自叙伝半分』を読んでおりますと。
「休暇でフランスに行ったとき、母と旅行に出かけ、あるレストランに入った。そこのメニューに幸いエスカルゴがあった。私はそれを食べることにした。」
そんなふうな一文が出てきます。
ネラン神父はそれまでエスカルゴを食べたことがなくて。日本人は皆、フランス人である私がたぶんエスカルゴの味も知っているだろうと思っている。だからその日本人の期待を裏切らないために、いつかエスカルゴを食べたいと思っていた。そのように書いています。
うーん。このあたりの考え方が「おバカさん」につながるのでしょうか。
では、遠藤周作と「おバカさん」とは、関係があるのか、ないのか。
「私は周作からこの話を聞いた時、
「アホやな、お前………」
と笑ったのだが、正直なところ感動した。」
三浦朱門著『わが友 遠藤周作』に、そのような一文が出ています。
「この話」とは、花に水をやる話。遠藤周作はあるとき、お母さんから、「周作、お花には水をあげてね」と頼まれて。庭の花壇に花を植えていたので。
ところが、ある雨の日に、合羽を着て右手に如雨露を持って、花に水を。それを見ていたお兄さんが、言った。
「周作、雨の日には花に水をやらなくてもいいんだよ。」
まあ、これもなんだか「おバカさん」に通じるなにかがあるのではないでしょうか。
もう一度、ネラン神父の『おバカさんの自叙伝半分』に戻ってみましょう。ジョルジュ・ネランは、このように書いているのです。
「………信者はイエスのファンなのである。」
いろんな学説をことごとく否定した後で、そのように結論しています。実に、分かりやすいではありませんか。
キリストが出てくる小説に、『さらば、アルハンブラ』があります。アントニオ・ガラが、
1993年に発表した物語。
「………私の使節はキリスト教の両王の同意を取り付けに行かなければならなかった。」
また、『さらば、アルハンブラ』には、こんな描写も出てきます。
「ラクダの毛の丈長の上着の上から黒い絹のマントを羽織り、物に動じない風貌を縁取る白麻のターバン。」
「ラクダの毛ということは、キャメルでしょうか。
「キャメルズ・ヘア」などとも言いますよね。ここで注文したいのは、「丈長の上着」とあるところ。上には「マント」を重ねているわけですからね。
キャメルのスーツ地もよいかも知れません。
どなたかキャメルのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。