ジャンとジャン・パトゥ

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ジャンは、男の子の名前によくありますよね。
たとえば、ジャン・ジャック・ルソーだとか。
どうもフランス人の名前に多いみたいですね。イギリスやアメリカの「ジョン」に近いのかも知れませんが。

「ジャン・カラス」。この名前をどこかでお聞きになったことがおありでしょうか。私はヴォルテールの書いた『カラス事件』を読んで知ったものです。
ジャン・カラス。1761年10月13日のこと。南フランス、トゥールーズで。古い話であります。
ジャン・カラス。一言で申しますと、宗教戦争の被害者ということになるでしょうか。
ジャン・カラスに対しての私の興味は、ジャンがその時代、その土地の織物業者だったことです
十八世紀にあっても、織物の主な消費地は巴里だったと思われます。

「こうしてクーチュリエの開くコレクションは服地産業のいわばショー・ウインドーとなるわけです。」

昭和三十九年に出た『パリモードをあなたが着るまで』には、そのように書かれています。
著者はイギリスの服飾評論家、マッジ・ガーランド。日本語訳は、南部あき。
つまり、織物業者にとってのパリモードは有難い存在なのです。
そんなこともあって、織物業者はモデル着用分の生地は無料で提供する習慣もあったとのことです。
また、パリモードを支える「工場」が地方にもあって。たとえば、グルノーブルの手袋。サン・ティティえんぬのリボン。カレーのレエスといった具合に。

『パリモードをあなたが着るまで』には、もちろんクーチュリエの話も出てきます。

「一九二0年代には、パトゥのオープニングは一番重要な夜のギャラでした。」

とにかく、ジャン・パトゥのショウに招かれるか否かが、重要人物であるかどうかの別れ道だったのですから。
ジャン・パトゥは美の創造者としてだけでなく、典型的な洒落者としても、後世に名を遺すお方でありましょう。
どなたかパトゥが愛用した、ウエストをはっきり絞ったスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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