キキは、女の子の名前ですよね。Kiki と書いて、「キキ」と訓みます。故き佳き時代の巴里を語るには、欠かせない名前でしょう。
キキの本名は、アリス・プラン。1901年にブルゴーニュの片田舎でうまれたと、伝えられています。巴里に出たのは、1916年のこと。
まずはじめに、キスリングの絵のモデルになって。フジタ、スーチン、ピカソ、ドラン………。あまたの画家のモデルになっています。
キキは画家のモデルのみならず、写真のモデルにも。1920年代のはじめには、マン・レイがキキに惚れて、モデルを依頼しています。もっとも有名な写真は、『アングルのヴァイオリン』でしょう。
あの『アングルのヴァイオリン』のモデルになったのが、キキだったのですね。
キキは単にマン・レイのモデルだったのみならず、恋人でもありました。
「彼はマン・レイに(キキが一緒に来ることを怖がらなければ)実験の模様をフラッシュで撮影してほしいと頼んだ。」
アンリ・ベアール著『アンドレ・ブルトン伝』に、そのように出ています。ここに「彼」とあるのが、アンドレ・ブルトンであるのは、いうまでもないでしょう。
アンドレ・ブルトンはシュルレアリスムの実験会に、キキに来てもらいたかったのでしょう。
マン・レイがアメリカから巴里に着いたのは、1921年7月14日のこと。マン・レイはすでに、マルセル・デュシャンとは友人だったので、シュルレアリスムの仲間たちと親しくなるのは時間の問題だったのですね。
1922年の12月。マン・レイは巴里でのはじめての個展を開いています。巴里の「シス書店」で。この時に出品されたのが、『贈り物』。それはアイロンに、絨毯用のピンを打った作品だったのです。マン・レイはサティと一緒にいる時、ふと思いついたアイデアだったそうですが。
『アンドレ・ブルトン伝』には、ノルマンディーのアランソンに出かける時の様子も出てきます。
「翡翠色のセーター、黒いシャツ、赤いネクタイにハンチング帽といった出で立ちのブルトンは………」
この時のアンドレ・ブルトンは、「キャスケット」をかぶっていたのですね。
どなたか1920年代のキャスケットを再現して頂けませんでしょうか。「ブルトン」と命名しますから。