ポルトガルとポオ・ド・ダイム

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ポルトガルは遠くて近い国ですよね。日本のふるさとのような感じさえあります。カステラだって、もともとはポルトガルからはじまっているのでしょう。
明治の時代に日本に住んだポルトガル人に、モラエスがいます。明治三十一年には、神戸に。これは「ポルトガル領事」として。
でも、1913年には領事を辞めて、徳島へ移住。この時、モラエスがなぜ徳島を選んだのか。今、なお謎となっています。
大正八年に、モラエスが友人に宛てた手紙が遺っています。

「鹿をもらうことができなかったためにお泣きになったお嬢さんの涙にはほろりとさせられます。」

友人は正月に奈良に行って。お嬢さんが「鹿が欲しい」と言ったらしい。それに対する返事の一部として。日付は、一月八日になっています。

昭和六年に、ポルトガルを旅したお方に、市河晴子がいます。英文学者、市河三喜の奥様。その時の旅の記録は、『リスボン行』に収められています。

「………福岡市名物の菓子の玉子の黄身で作った甘い甘い素麺など………」

リスボンの街のここそこに、日本の源流を見たち、書いています。

ポルトガルが出てくる名作に、『ゴリオ爺さん』があります。1834年に、フランスの作家、オノレ・ド・バルザックが完成させた物語。

「………ポルトガルの貴族のなかでも、とびきり著名で富裕なひとり、ダジュダ・パント侯爵と親交を結び………」

これはボーセアン夫人の交遊関係について。
また、『ゴリオ爺さん』には、こんな描写も出てきます。

「………午前中には六フランもする鹿皮の白手袋も、夜分にはきまって黄色い手袋も………」

これは「ウージェーヌ」のおしゃれぶりについて。
「鹿皮」。フランスなら、「ポオ・ド・ダイム」peau de daim でしょうか。
どなたか白のポオ・ド・ダイムでチョッキを仕立てて頂けませんでしょうか。

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