モーリスとモスリン

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モーリスは、人の名前にもありますよね。たとえば、音楽家のモーリス・ラヴェルだとか。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』は代表曲のひとつでしょう。それとも、『ボレロ』でしょうか。
モーリス・ラヴェルは優れた作曲家として、また、優れた洒落者としても記憶されるべきでしょう。
モーリス・ラヴェルは、1875年3月7日、午後10時。バスク地方、シブールに生まれています。お母さんのマリイはバスク人だったとのことです。お父さんのピエールは、スイスの技師だったと伝えられています。お父さんとお母さんとは巴里で出会って結婚したのです。
ただ、モーリスはバスクのことはあまり覚えていないかも知れません。モーリスが生まれて三ヶ月後、一家で巴里に移っていますから。
バスクのシブールは、スペイン国境にも近いところ。お母さんのマリイは、よくスペイン民謡を歌って聞かせたんだそうですね。モーリス・ラヴェルにスペインの影響があるとするなら、子供の時の記憶と関係があるのかも知れません。

1895年頃、モーリス・ラヴェルは、エリック・サティと知り会っています。

「彼の影響はドビュッシーや私自身を含め、実際上、大部分の近代フランスの作曲家たちにかなり大きな効果を与えました。」

モーリス・ラヴェルは、そのように書いています。ここでの「彼」とは、エリック・サティのことなのです。また、「私」がラヴェルを指していることは言うまでもないでしょう。

モーリスが出てくる小説に、『フランス組曲』があります。イレーヌ・ネミロフスキーが、1940年代に発表した物語。

「娘たちは、モーリス・デコブラの本を入れて欲しいという。」

ここでの「モーリス・デコブラ」は、当時人気のあった、フランスの作家のことなのですが。
また、『フランス組曲』には、こんな描写も出てきます。

「小さな襟と襞のついたリンネルの袖がアクセントになっているくらいだ。」

これは少女が着ている服装について。
「モスリン」muslin はもともと薄い綿布のこと。モスリンは1609年頃からの英語。
「モースル」Mosul ではじめて織られたので、「モスリン」になったとの説があります。モースルは当時あったメソポタミアの町の名前。
どなたかモスリンのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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