ピエールとビーヴァー

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ピエールは、人の名前にもありますよね。ピエール・バルマンだとか、ピエール・かルダンだとか、モオドの世界に限っても、ピエールは珍しい名前ではありません。
小説の題にも、『ピエール』があります。
1852年に、アメリカの作家、メルヴィルが発表した物語。もちろん、『白鯨』の名作で識られる、ハーマン・メルヴィルのことです。
メルヴィルの大作『白鯨』が発表されたのが、1851年のこと。ハーマン・メルヴィルが、三十一歳くらいの時で、よほど脂が乗っていたものと思われます。
ハーマン・メルヴィルは、1819年8月1日、ニュウヨークに生まれています。「ブルックス・ブラザーズ」が1818年の創業。その翌年あたりでしょうか。
ハーマン・メルヴィルのお父さんは、アラン。アランは一時期、毛皮商を営んでいたという。兄のガンズヴォートは、アランの跡を継いで、やはり毛皮商になっています。
ハーマン・メルヴィルは兄のように毛皮商にはならず、船乗りに。1841年には、「アークシュネット号」の船員に。これが、たまたま捕鯨船だったのですね。
この時の経験から、名作『白鯨』が生まれたのは、言うまでもないでしょう。
ハーマン・メルヴィルhぁ、1850年には、『ホワイト・ジャケット』を発表。これもまた、海洋小説なのですね。私は勝手に、白いフィッシャーマンズ・スェーターを思い浮かべたものですが。
いずれにしても、メルヴィルを読むことは、海を感じることに外なりません。メルヴィル好きは海好きに決っています。
メルヴィルは実際に船員でしたから、世界中、いろんなところにも旅しています。

「………リマのインカ女の、あのサヤ・イ・マンタのヴェールでも、こうはふんわりと、生きた人間を掻き消すことはできないだろう。」

ハーマン・メルヴィルの『ピエール』には、そんな一節が出てきます。
「サヤ・イン・マンタ」sayda e manta は、リマの民族衣裳。黒い、フード付きの、丈長のマントのことです。

ハーマン・メルヴィルが、1854年に発表した短篇に、『バイオリン弾き』があります。この中に。

「何百回となく栄光の月桂冠を授けられた男が、ごらんのように、よれよれのビーバー帽を被っている。」

これは「ホートボーイ」という人物の帽子について。
「ビーヴァー」 beaver は、毛皮の一種。十八世紀、十九世紀に、ビーヴァーの毛皮で帽子を作るのは、ごく一般的なことでありました。
ビーヴァーで帽子を作り過ぎたために、ビーヴァーがいなくなって。その代用品として、シルク・ハットが生まれたのですね。
つまり十九世紀後半の、プラッシュによるシルク・ハットは、ビーヴァーに似せた代用品だったわけであります。

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