スポーツとスリーヴ

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スポーツは、「遊戯」のことですよね。また、運動や競技のことでもあります。
スポーツ。sport 。英国の上流階級で「スポート」と言ったなら、まず最初に「狩猟」を想うんだそうです。
ハンティングにはもちろん、時期というものがあります。たとえば、牡鹿は、毎年の8月12日頃から、10月12日まで。雌鹿は、11月10日から翌年の3月31日まで。
あるいはまた、雷鳥なら、8月12日から、12月10日まで。
英国の洒落者はこれがちゃんと頭に入っているんだそうですね。

スポーツが出てくる短篇に、『思い出』があります。昭和八年に、太宰 治が発表した物語。文字通り、太宰 治の少年時代を語った小説。

「中学校に入るようになってから、私はスポーツによっていい顔色を得ようと思いたって、暑い時分には、学校の帰りしなに必ず海へ入って泳いだ。」

太宰 治は、『思い出』の中に、そのように書いています。また、「スポーツ」は何度も出てくるのですが。
太宰 治が師と仰いだのが、井伏鱒二。井伏鱒二が、太宰 治について多く語っているのも、当然のことでしょう。

「いつも大変にお行儀がよくて、ことに小説の話をする時には端然と坐りなほすのが記憶に残つてゐる。」

井伏鱒二の随筆『太宰治』に、そのように出ています。
それは昭和五年頃のことで、太宰 治は二十二歳くらいの時だったという。
太宰 治は、井伏鱒二を訪ねる時、二時間くらい前から、家の前を行ったり来たりした。
たまたま井伏鱒二のほうが気づいたりすると、声をかけて、約束よりも前の時間に中に入れてやったりもしたんだそうですが。
太宰 治は、『思い出』について、井伏鱒二に手紙を書いています。
「今度の原稿はよかったと思います。」
『思い出』は、太宰 治にとっても自信作だったのでしょう。

井伏鱒二が昭和十一年に発表した文章に、『六七年前』があります。この中に。

「初めて見た永井は袖丈けの合つた洒落た洋服を著て、頭髪は油をつけないで分けてゐた。」

井伏鱒二が、はじめて永井龍男に会った時の印象を、そのように書いてあります。
永井龍男を、井伏鱒二に紹介したのが、中村正常。中村メイコのお父さんです。
「レインボー」という店で会ったという。
「袖丈けの合つた」。さすが井伏鱒二、観るところを観ていますね。
正しいスリーヴ・レングスの上着は美しくものです。何センチ何ミリというよりも、シャツのカフが上着の袖口から出ていないのは、正しいスリーヴではありません。
どなたかシャツの袖が正しくのぞく上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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