地震とジャカード

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地震は、アースクエイクのことですよね。地面が大きく揺れることに外なりません。地震が大好きな人はひとりもいません。
「地震、雷、火事、親父」と言うではありませんか。ただし、今の時代、親父は怖くはありません。そして、付け加えて欲しいのが、戦火。昭和二十年に東京が焼けたのは、戦火だったのですから。いや、東京だけのことではありませんが。
「災害は忘れた頃にやってくる」。これは寺田寅彦の名言なんだそうですね。
大地震で忘れてならないのが、関東大震災。大正十二年のことです。西暦の、1923年。今から百年ほど前のことになります。

関東大震災が出てくる小説に、『絹扇』があります。作家の津村節子が、2001年に発表した物語。

「九月一日午前十一時五十八分四十四秒、関東地方を襲った未曽有の大地震は、二震、三震、と繰り返されるうちに、百四、五十ヵ所から火災が起った。」

津村節子は、『絹扇』の中に、そのように書いています。
関東大震災では、東京のほとんどが焼けたとのことです。大正十二年頃の東京では、多く七厘を使って煮炊きを。家の外でも七厘を。七厘は直火で、七厘が倒れたなら、木造の家に燃え移るのは当然のことでもあったでしょう。
津村節子は『絹扇』の中に関東大震災を書くのが、目的ではなかったのですが。
津村節子は生まれ故郷の福井の、絹織物の歴史を書こうとして、『絹扇』の筆を執ったのですが。その中にたまたま関東大震災が含まれることになったのでしょう。
『絹扇』には、福井、春江町が描かれます。今は町名変更で、「坂井市」の一部になっているのですが。春江町、さらに古くは春江村と言ったものです。そして福井での絹織物の産地だったのです。
また、津村節子自身、絹織物と無関係でもなかったのですね。

「父は織物屋街に店を構えて織物取引の商売をしていたが………」

津村節子は、『私の文学的歩み』の中に、そのように振り返っています。広い意味で、津村節子は機屋の娘として生まれているのです。

「バッタン機とフランス式ジャカード機を購入して、京都二条河原町に織物工場を創設し………」

津村節子の『絹扇』に、そのように出ています。
明治五年のこと。福井藩の決断として。
ジャカード機が、1804年に、フランスはリヨンの「ジャカール」Jacquard
によって発明されたことは、言うまでもありません。ジョセフ・マリイ・ジャカールの手によって。
これは「紋紙」を使うやり方で、今のコンピューターの原理と似ていなくもありません。
細かい、凝りに凝った紋柄は、多くジャカード機によるものです。身近なところでは、ネクタイ地などもその一例です。
ただし、ジャガードではありません。もともとは人の名前ですから、「ジャカード」なのです。もちろんフランス訓みでは「ジャカール」になるわけですが。

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