ハイデルベルクとハントシュー

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ハイデルベルクは、ドイツの地名ですよね。
Heidelberg と書いて「ハイデルベルク」と訓むんだそうですが。古くは「ハイデルベル匕」とも訓んだとのことです。
ハイデルベルクには、ネッカー川が流れていて、「ハイデルベルク城」が聳えています。このハイデルベルク城は、1220年代にはすでに在ったそうですから古い。

大正十四年に、ハイデルベルクを旅したお方に、安倍能成がいます。その時の旅の記録は、『新緑のハイデルベル匕』に詳しく書かれています。

「ハイデルベル匕の古城を始め、この都の人家に多く使われて居る赤い石材は、この辺りの山から出るのだということを今朝発見した。」

安倍能成は紀行文の中にそのように書いています。

「五万ガロンの葡萄酒がきれいにはいる酒樽もこのお城の人気者である。」

昭和十四年に、ハイデルベルクを旅した野上弥生子は、随筆『フランクフルト・アム・マイン』の中に、そのように書いてあります。「このお城」が、ハイデルベルク城であるのは、申すまでもないでしょう。

ハイデルベルクが出てくる日記に、『獨逸日記』があります。明治十七年からのドイツ留学の、森 鷗外の日記であること、言うまでもありません。

「十二日。ハイデルベルヒなる宮崎道三郎の書到りぬ。」

これは十一月十ニ日のところに出てきます。
それよりも前の十一月九日の夜には、ホフマンの屋敷で宴の席に連なっています。

白手套は買ひたれど、黑き上衣なきゆゑ飯島に借りぬ。

鷗外は、『日記』に、そのように書いています。ここでの「黑き上衣」は、燕尾服のことかと思われます。燕尾服に白手袋は不可欠ですからね。たぶんキッドの手袋だったのでしょう。
手袋はドイツでは、「ハントシュー」 handschuh 。
直訳すれば「手の靴」ということになるのでしょうか。
正装には紳士は必ず、手袋を。手の肌を見せないために。淑女もまた。顔以外の素肌を露わにするのは、極端に恥ずかしいことなのです。十九世紀までの常識としては。

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