ジュリアンとジレ

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ジュリアンは、人の名前にもありますよね。たとえば、
ジュリアン・デュヴィエだとか。Julien と書いて「ジュリアン」と訓みます。もちろんフランスの偉大な映画監督であります。
『巴里の空の下セーヌは流れる』は、よく識られているところでしょう。
ジュリアン・デュヴィエは、1896年6月3日に、リールで生まれています。
lille と書いて「リール」。町の中央には「リス川」が流れていて、古くからの織物の町でもあります。
ジュリアンのお父さんはアドルフで、リールの織物問屋を営んでいたそうです。
lilleを英語訓みにすれば、「ライル」。細番手の高級綿糸でも有名だった所。ことに「ライル」の靴下は高級品とされたものです。
ジュリアン・デュヴィエは織物の道は選ばず、映画の道を。1919年には、『アセルダマ』の監督で、デヴュウ。この時脚本にも参加しています。
『巴里の空の下セーヌは流れる』は、1951年の映画。日本での公開は、1952年4月。「東和映画」の輸入。東和映画としては、戦後はじめての輸入映画だったという。
『巴里の空の下セーヌは流れる』は、パリ市からの依頼を受けて誕生したえいが。パリ市ではこの年を「パリ二千年祭」を祝う計画があったから。
『パリの空の下セーヌは流れる』は、映画もさることながら、主題歌が大ヒットした映画でもあります。
エディット・ピアフも歌っているのですが。

ジュリアン・デュヴィエで誰もが知っている映画が、『望郷』。いうまでもなく、ジャン・ギャバンの主役。ジャン・ギャバンの代表作でもあるでしょう。原題は、『ペペル・モコ』。このペペル・モコを演じるのが、ジャン・ギャバン。
ジャン・ギャバンの頸に巻くスカーフは印象的でしたね。当時、巴里の若者の間で、ペペル・モコふうのスカーフだ大流行したほど。
映画の中で、ギャバンが黒のシャツを着る場面があります。当時の映画の照明では、白のシャツではハレーションが起きるためだったと伝えられています。

ジュリアンで小説でといえば、『赤と黒』でしょうか。
1830年に、スタンダールが書いた物語。言うまでもありませんが、『赤と黒』の主人公が、ジュリアン・ソレルであります。
スタンダールの『赤と黒』を読んでおりますと、こんな描写が出てきます。

「………彼はチョッキを三四枚重ね着している、例の温容の人物を指して言った。」

これはジュリアンが眺めている男について。
「チョッキを三四枚重ね着」。これは当時の風俗としては、「洒落者」の意味なのです。
十九世紀の中頃、何枚かのチョッキを重ねることが流行ったからであります。
フランスなら、「ジレ」gilet でしょうか。
一枚でいいですからどなたか完璧なるジレを仕立てて頂けませんでしょうか。

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