ミルクとミンク

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ミルクは、牛乳のことですよね。朝にミルク・ティーを飲むこともあるでしょう。うんと濃い紅茶に、うんと濃いミルクを加えて飲むのは、美味しいものです。

ミルク・ティーを飲んでいるうちに目がさめて、食欲がわいてきます。
「ミルクティーバケツ四杯、を軽く平らげるという。」
1974年に、金井美恵子が発表した短篇『空気男』に、そのような一節が出てきます。これはサーカスの見世物としての話として。
作家で、ミルクに関係あるお方に、芥川龍之介がいます。芥川龍之介は明治二十五年三月一日、京橋に生まれています。お父さんは新原敏三。新原敏三は牛乳屋を開いていました。芥川龍之介はたぶん子供の頃からたくさんミルクを飲んでいたことでしょう。
日本人の多くがミルクを飲むようになったのは、明治の時代に入ってからだと思います。その意味で、明治の牛乳屋はハイカラな商売だったに違いありません。
「Sの兄は大きなバケツを提げて、牛小屋の方から出て来た。戸口のところには、Sが母と二人で腰を曲げて、新鮮な牛乳を罎詰にする支度をした。」
島崎藤村が大正元年に発表した『千曲川のスケッチ』に、そのような文章が出てきます。明治末期はもちろん、大正のはじめでも、牛乳屋は新しい商売だったものと思われます。
「三十五、六年頃からミルクホールというものが広く流行り物になって、どこにも出来たが、別しても学校の周囲には沢山出来た。」
生方敏郎が、大正十五年に発表した『明治大正見聞史』に、そのように出ています。ミルクホールには新聞が置いてあって、自由に読めたんだそうですね。今のカフェにも近い存在だったのでしょうか。
「焼ぱんを噛べて、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。」
夏目漱石の小説『野分』に、そのような文章が出てきます。これは上野、池ノ端のミルクホールでのこと。夏目漱石もたまにはミルクホールに入ることがあったのでしょうか
ミルクはなにも紅茶に入れるとは限りません。珈琲にミルクを添えると、カフェ・オ・レになります。
「一回終って、卵をかけて飯を食ひ、コブ茶をのみ、ミルクコーヒーをのんで、吸入をかける。」
昭和九年七月二十九日、日曜日の『古川ロッパ昭和日記』に、そのように書いてあります。
ここでの「吸入」は、喉の具合をよくするために、蒸気を吸うことなのですが。
ミルクが出てくる小説に、『大学教師』があります。1975年に、イ・グレーコワが発表した長篇。
「いつか、わたしが赤ん坊のミルクの事で五点をやった女の子だ。
これは、リューダ・ヴェリチコという女子学生について。また、『大学教師』には、こんな描写も出てきます。
マイカの方はクロークで店のお客のミンクのコートをかよわい生き物のように受け取るマーシャ伯母さん程度の水準だった。」
ここでの「マイカ」は、洋裁店のレジ係というせってになっています。どんなミンクのコートなのでしょうか。ミンクはコートにするには、最適の素材。
どなたかミンクの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。
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