豆腐は、美味しいものですよね。豆腐一丁あれば、いろんな料理に変身してくれます。
毎朝の味噌汁に、豆腐が入っているのは、嬉しいものでしょう。
暑い時期には、冷奴。寒い時には、湯豆腐。季節wぼ問わない酒の肴に、卯の花があります。
天明二年(1782年)に、『豆腐百珍』が出ているのは、ご存じの通り。これは「木の芽田楽」にはじまって、「真のうどん豆腐」に至るまでの、百の豆腐料理を紹介した本なのですね。
この『豆腐百珍』が好評、好評、大好評。1783年には、続編の『豆腐百珍続編』が。さらには、『豆腐百珍余録』というのまで出ています。
『豆腐百珍』の特徴は、大きく六つ分けられていることです。たとえば「尋常品」だとか。「通品」、「佳品」、「奇品」、「絶品」なんて具合に。
いちばん最初に出てくる木の芽田楽がそうであるように、豆腐を串に刺して焼くのが、当時の主流だったらしい。
この串に刺す田楽がお好きだったお方に、平賀源内がいます。
平賀源内は専用の、焼串を発明しています。何度か繰返して使える焼串を。ということは、田楽がお好みだったに違いありません。
豆腐は捨てるところのない食材でもあります。
豆腐を作るために大豆を絞る。絞った残りが、おからの原料になるわけですからね。
おからを上品に申しますと、「卯の花」。卯の花が咲いているようにも想えるので。
おからが大好きだったのが、内田百間。
「又レモンの汁が沁みてゐるので、おからの口ざはりもぱさぱさではないが、その後をシヤムパンが追つ掛けて咽へ流れる工合は大變よろしい。」
内田百間は、昭和三十九年に発表した随筆『おからでシヤンパン』に、そのように書いてあります。
その時代のおからは一回分で、五円だったらしい。また、その五円のおからでも、三回か四回に分けて食べるだけの量があったとも。
内田百間はおからに合わせてシャンパンを傾けるのがお好きだったのでしょう。
湯豆腐が出てくる名作に、『五重塔』があります。幸田露伴が、明治二十四年に発表した短篇。感動のひと言に尽きる傑作でしょう。それはそれとして。
「湯豆腐に蛤鍋とは行かぬが新漬に煮豆でも構はぬのう、」
そんな会話が出てきます。
「蛤鍋」(はまなべ)が、蛤の鍋であるのは言うまでもありません。朝飯がまだの若者に、急ぎ食事をさせようとしている場面で。
また、『五重塔』には、こんな描写も出てきます。
「鳶子合羽に胴締めして手ごろの杖持ち、恐怖ながら烈風強風の中を駆け抜けたる七蔵爺、やうやく十兵衛が家にいたれば、」
これは大嵐の中、棟梁の十兵衛を家を訪ねる場面として。
十兵衛は自分の建てた五重塔に絶対の自信があって。台風でも見回りにも行かない。それをなんとか説得に行くところ。名場面のひとつでしょう。
ここに「鳶子合羽」とあるには、インヴァネスのこと。
インヴァネスを羽織っている様子が「とんび」のように想えたので。
インヴァネスは袖がないので、着物の上からでも重ねることができた。明治大正の時代にはずいぶんと流行ったものです。
どなたか明治期のとんびを再現して頂けませんでしょうか。