パスポートは、旅券のことですよね。港を通過するためのものですから、「パスポート」。
もっと古い時代には、「旅行免状」とも言ったらしい。
passport と書いて「パスポート」と訓みます。
今の旅は主に飛行機。昔の旅はたいていが船の旅。それでパスポートが必要だったのでしょう。
「許可があるかどうか危ぶんで暮して居る中に今朝漸く旅行免状が下つて、十日の後に神戸から船に乗ることになつた。」
これはアメリカに行こうとしている場面として。明治四十三年に、青木健作が発表した小説『虻』に、そのような一節が出てきます。
旅行免状のはじまりは、慶應元年(1866年)との説があります。もっとも当時の日本での呼び方は、「御印章」だったそうですが。それは海外に招かれた藝人たちに与えられたものであるとのことです。
藝人。もう少し詳しく申しますと。軽業師であったとのこと。この軽業師の中には手品師も含まれていたようですが。
全員で、十七名ほど。「濱碇一家」、「隅田川一家」、「松井一家」。
「濱碇一家」は主に曲藝。隅田川浪五郎一家は、手品。
松井菊五郎一家は、独楽まわしが演目だったらしい。
これらの藝に日本で注目したのが、リズレーというアメリカ人であったらしい。
リズレーはそれぞれ藝人たちと契約して、二年間、異国での曲藝をやらせたらしい。
それぞれの年俸は、濱碇一家が、三千五百両。隅田川一家が、千両。松井一家が、七百両だったと伝えられています。
「ウォールズ・オペラ・ハウスの曲芸と東洋魔術の公演には、ゴマ化しというものが全然ない。鉄箸の演技はカケ値なしに素晴らしいものだ。」
安岡章太郎は、昭和五十八年に発表した『大世紀末サーカス』の中に、そのように書いてあります。
安岡章太郎の『大世紀末サーカス』は、濱碇一家、隅田川一家、松井一家の海外での活躍を中心とした内容になっています。
えーと、たしかパスポートの話でしたね。パスポートが出てくるミステリに、『悪魔の選択』があります。1979年に、フレデリック・フォーサイスが発表した物語。
「彼はまたイギリスのパスポートを所持してる者がトルコに入国する場合、ビザは必要ないということも確認したが」
また、『悪魔の選択』には、こんな描写も出てきます。
「黒いバラクラバ戦闘帽をかぶり、黒のタートルネックに黒のトラック・スーツのズボン、そして黒のゴムのデッキシューズという黒ずくめの格好で」
これはいきなり船に上がって来た二人組の男の様子について。
「バラクラヴァ」balaklava は、もともとウクライナの港町。1854年に激戦が行われた場所でもあります。
その時、イギリス軍が用いた帽子が、「バラクラヴァ」。頭からすっぽりかぶって、目だけをのぞかせるニット帽のことです。
どなたか楽しい色のバラクラヴァを編んで頂けませんでしょうか。