ジェイムズとシュミーズ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ジェイムズは、男の人の名前にもありますよね。たとえば、ジェイムズ・ボンドだとか。実在の人物でも、ジェイムズ・ディーンが。
アイルランド出身の作家でジェイムズといえば、ジェイムズ・ジョイスでしょうね。ジェイムズ・ジョイスは、「二十世紀最高の作家のひとり」と考えられているお方です。もうひとりが、フランスの作家、マルセル・プルーストなんだそうですが。
ジェイムズ・ジョイスは1882年2月2日、ダブリンに生まれています。お父さんは、ジョン。お母さんは、メアリだったと伝えられています。
1898年の9月。ジェイムズ・ジョイスは「ユニヴァーシティ・カレッジ・オブダブリン」に入っています。学力きわめて優等。この頃からふだんでもテニス・シューズを履いて、トネリコのステッキを携えていたんだそうですが。
1920年にジョイスは巴里に移住。これはアメリカの詩人、エズラ・パウンドのすすめによるものだったそうです。その後約二十年間、巴里に住むことになるのですが。
巴里でのジョイスは、シルヴィア・ビーチと出会っています。あの有名な「シェイクスピア・アンド・カンパニー」という本屋を開いていた、アメリカ人女性と。
ジョイスとビーチは、ジョイスの歓迎会の席ではじめて会って。その翌日、ジョイスは「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を訪ねています。
その時、ジョイスは『海に騎り行く人びと』を借りて。
「シェイクスピア・アンド・カンパニー」は貸本屋でもあったので。
ジョイスの代表作のひとつ、『ユリシーズ』は、ビーチの「シェイクスピア・アンド・カンパニー」から出版されています。1922年2月2日に。これはジョイスの四十回目の誕生日だったので。
『ユリシーズ』の印刷は、ディジョンのモーリス・グランティエールが担当しています。最初の見本の二冊は、列車の車掌によって巴里に届けられて。一冊はジョイスに。もう一冊はシェイクスピア・アンド・カンパニーの店内に飾られて。この見本の『ユリシーズ』を眺める客が絶えなかったという。
ジョイスは、息子の音楽教師、ルーベンシュタインに一冊献呈しています。その時の話として。ルーベンシュタインは正直に、「私には難しすぎてよく解りません。」それに対するジョイスの返事。

「これを理解できるのはごくわずかの作家と教師だけだ」と。

事実、『ユリシーズ』は二十世紀最大の難解な小説であるのかも知れませんね。

「おれのシュミーズの重しにするからさ。」

『ユリシーズ』にはそんな会話が出てきます。これはマリガンの、スティーヴンに対する言葉として。
なぜ、ここに「シュミーズ」が出てくるのか。たぶんスティーヴンがフランス帰りであることと、関係しているのでしょう。
「シュミーズ」chemise が、フランスで「シャツ」のことであるのは、言うまでもないでしょう。
どなたかシュミーズと呼びたくなる一枚を仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone