財布の中身は薄いのより厚いほうがいいのでしょうね。
江戸の頃にももちろん、財布はあって。よく「縞の財布の五十両」なんて科白が出てきます。どうも江戸期の財布は、縞柄が多かったらしい。どうして「縞の財布」なのか。
その時代、縞は舶来で、稀少で、粋な柄だと考えられていたようです。縞は、「島」。つまりはるか遠くの異国から伝えられた柄だったんですね。大昔の日本には縞柄は、なかった。
縞は舶来の、貴重品、だから財布などにも使われたのでしょう。江戸の頃の縞のひとつに、「サントメ」が。これは、セント・トーマス島が発祥の地であったとか。セント・トーマス訛って、「サントメ」。
サントメをもとに京都で織ったものを、「和サントメ」。舶来のものを、「唐サントメ」。唐サントメを略して、「唐桟」となったわけ。だから唐桟はもともと縞柄なんですね。
サントメのもとになったセント・トーマス島は、西インド諸島の、セント・トーマス島ではなかったかと、考えられているという。
セント・トーマスとつく地名にも数々あって。それとはまた別のセント・トーマスが出てくる小説に、『海馬を馴らす』が。1986年に、ロバート・B・パーカーが発表した物語。
「セント・トマスのクラウンプリンス・クラブに入れるようにしてくれる……」
もちろんこれは主人公、スペンサーの科白。また、こんな描写も。
「ベルソンは幅の広い紺のバンドのついた麦藁帽子をかぶって、プレスしたばかりのシアサッカー・スーツを着ていた。」
フランク・ベルソンは、ボストン警察の、部長刑事という設定。「紺のバンド」ということは、ブルー系のシアサッカーでしょうか。
もし、スーツが細身なら、薄い財布のほうがかも知れませんが。