マキャヴェリとマンテーロ

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マキャヴェリは、説明不要ですよね。
もちろん、イタリアの文人、ニコロ・マキャヴェリのこと。Machiavelli と書いて「マキャヴェリ」と訓みます。
マキャヴェリの『君主論』はあまりにも有名でしょう。『君主論』は1532年の刊行。今からざっと五百年前の本なのですが。
でも、マキャヴェリの言葉は今なお生きています。
昭和四十五年に、橋川文三が発表した論文に、『明治のマキャベリスト』があります。これは後藤象二郎について。後藤象二郎は明治のマキャベリストだと、言っているのですね。
これは日本のことだけではなくて、広くヨオロッパでも、「マキャヴェリ」の言葉が用いられています。つまり、マキャヴェリは現在も生きているのです。
ニコロ・マキャヴェリは1469年5月3日、フィレンツェに生まれています。お父さんは、ベルナルド。お母さんは、バルトロメアだったと伝えられています。
マキャヴェリの仕事をひと言で申しますと、外交官。外交官のかたわらに、多くの文章を書いたお方だったのです。
たとえば、マキャヴェリには『フィレンツェ史』があります。これは『君主論』よりも早く、1525年に出ているのです。
『フィレンツェ史』は、1520年に時の枢機卿だったジューリオからの依頼で執筆したとのこと。
マキャヴェリは当時から、筆の立つ男だと理解されていたのでしょう。
『フィレンツェ史』を開いてみますと。

「この敗戦後、フェランテはナポリに逃げ込み、彼の諸領土から追放されてきた者をそこに迎え入れた。」

そんなふうに出ています。ここから簡単に想像できるのは、イタリア国家統一のはるか前の、群雄割拠の時代だったということでしょう。
むりやり日本にたとえますと、戦国時代のさなかだったわけです。
『君主論』は、戦国時代に書かれた書物。そのように考えるなら、『君主論』の読み方も少し変ってくるのかも知れませんね。

「私たちの世で偉業を成し遂げた人物のなかに吝嗇ん坊という評判のなかった者がいないことを、私たちは見届けてきた。」

マキャヴェリはそのように書いています。時は戦国時代だと思ってみれば、当然のことでもあったでしょう。
マキャヴェリが出てくる随筆集に、『イタリアからの手紙』があります。昭和四十五年に、塩野七生が発表した随筆。この中に。

「法王庁などはスイスへ行けと書いたマキャヴェッリを、また、死ぬ前に見てみたい三つのうちのひとつとして、」

塩野七生は、『カイロから来た男』の中に、そのように書いています。
また、『イタリアからの手紙』には、『仕立て屋プッチ』の章題もあります。

「槍隊や銃隊の後ろに、騎兵を従えて、馬上豊かにという言葉通り、白い馬に黒いマント、十六世紀風の帽子には白い羽毛がなびくというかっこうである。」

式典でのエミリオ・プッチの姿をそのように描いています。
エミリオ・プッチは1914年、フィレンツェの貴族の家柄に生まれたデザイナー。
Pucci と書いて「プッチ」と訓みます。鮮やかな色遣いで評判のクチュールでありましたね。
どなたか十六世紀の「マンテーロ」mantello を仕立てて頂けませんでしょうか。

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