ミニチュアは、「模型」のことですよね。もっと古い時代には、「細密画」の意味だったらしい。英語としての「ミニチュア」は、1586年頃から用いられているそうですから、古いですね。
ミニチュアが出てくる詩に、『田園の憂鬱』があります。詩人の佐藤春夫が、大正十年に発表したものです。佐藤春夫、二十六歳の時に。
「その街はまた静かに縮小して、もとのミニチュアの街になつて、それとともに再び彼の鼻の上のもとの座に帰つて来た。」
『田園の憂鬱』は、佐藤春夫の出世作だと考えられています。
佐藤春夫は、明治二十五年四月九日に、和歌山県、新宮に生まれています。明治四十三年、十八歳で東京に。東京では堀口大學に出会って、生涯の親友になっているのですが。
「熊野では鰹のさしみには必ずからしで食べることになつてゐる。」
佐藤春夫は昭和三十二年に発表した随筆『鰹のはなし』に、そのように書いています。そしてまた、江戸時代の鰹はみなからしで食べたものだ、とも。それが証拠に、其角が詠んだ句に。
初鰹を からしが無くて 目に涙
とあるのを引いているのですが。
それは英 一蝶が島流しになった時に詠んだ句なんだそうですね。
やはり人は誰も、いくつになってもふるさとの味は忘れられないものなのでしょうね。
佐藤春夫とおつきあいのあったお方に、小島政二郎がいます。
「佐藤春夫に教わって、大阪の玉水という家で鯨の水炊きを食べたことがあったが、丁度その時の鯨の肉をすべてがよく似ついていた。」
小島政二郎の随筆『食いしん坊』にそのように書いています。
何の味と鯨が似ていたのか。猪の味とよく似ていたとのことです。これも『食いしん坊』に出てくる話なのですが。
「昔、佐藤春夫さんのところへ遊びに行くと、帰りに奥さんがあすこのパンをお土産に持たせて下さったことを思い出した。」
「あすこ」とは、昔あった「関口パン」のこと。関口のフランスパンに、小岩井のバターをつけて食べるのが、うまかっった、と。
えーと、ミニチュアの話だったですよね。ミニチュアが出てくる小説に、『世界の果てのビートルズ』があります。ミカエル・ニミエが、2000年に発表した物語。
「どちらも髪は角刈りで、まるでミニチュアの海兵隊だった。」
これは子供の頃の想い出として。また、『世界の果てのビートルズ』には、こんな描写も出てきます。
「鍵穴は、ミトンや素手でな んらの問題もなくさわれる。」
これはスゥエーデンの冬の話として。
ミトンは二股手袋のことですね。五本指の手袋なら、「グラヴ」。二本指なら、「ミトン」。
どなたかスーツに似合うミトンを作って頂けませんでしょうか。
「私の故郷の紀州などでは赤い肉を刺身のやうにして包丁して平気で生で食べる。」
佐藤春夫は『赤い身の鯨』と第する随筆に、そのように書いてあります。つまり、鯨の赤身を刺身で食べる習慣があったのでしょう。同じ随筆のなかに、「鎌倉焼」があったことにもふれています。これは鯨の赤身を味醂と醤油とに漬けておいて、やがてそれを焼いて食べる。これを「鎌倉焼」と称して、うまいものだった、と。