コロッケとコオデュロイ

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コロッケは、クロケットのことですよね。
もとはフランス語で、れっきとした料理の名前だったそうです。そのクロケットから、日本語の「コロッケ」が生まれたんだとか。
コロッケにも大きく分けて、二種類があります。小判型と、俵型との。なぜか小判型が庶民的で、俵型が高級という印象があります。

「これが非常にウマかった。あんなにウマイコロッケは、その後、日本でも、外国でも食べたことがない。」

獅子文六は随筆『好食つれづれ草』の中に、そのように書いてあります。
昔食べた「西洋亭」のコロッケについて。三個一人前で、小指ほどの大きさのコロッケ。脇にパセリが添えてあったという。
明治五年に、『西洋料理指南』という本が出ています。この本の中にすでに「コロッケ」が紹介されているのですね。このあたりが「コロッケ」のはじまりなのでしょうか。

「コロケット蕎麦といへるを、花屋敷の吉田にて出したり。追々かゝることに成行くべし。」

明治三十一に、作家の斎藤緑雨が発表した随筆『ひかへ帳』に、そのような想い出が出ています。
コロッケの普及と、コロッケ蕎麦は、なにか関係があるのでしょうか。もしかして、コロッケ蕎麦から、コロッケの大衆化がはじまっているのかも知れませんが。

「偶にはコロッケのやうなものを拵へて食はせるとか、又はシチウのやうなものを拵へて食はせるとかでなければ嬉しがらないのである。」

明治四十二年に、石川天涯が書いた『東京學』に、そのような一節が出ています。これは当時の東京での下宿屋での食事のあり方として。
ここから想像するに、明治四十年代の東京では、コロッケは若者に期待される料理だったのでしょう。

昭和二十九年に、三島由紀夫が発表した小説『鍵のかかる部屋』にも、コロッケの形容が出てきます。「平べたつたいコロッケ」とありますから、小判型のコロッケだったのでしょう。戦後間もなくの風物詩として。

コロッケの話が出てくる随筆に、『すてきなあなたに』があります。大橋鎮子の著書。大橋鎮子はその昔、花森安治の右腕だったお方。

「親ゆび二本くらいの、かわいいコロッケが紙ナプキンの上にのかって、小さなカップのコーヒーとならびました。」

これはポルトガルのカフェでのこと。席の近くのお嬢さんが食べているので、大橋鎮子も頼んでみたわけです。
そのコロッケはたしかにコロッケなのですが、デザートとしてのコロッケだったと書いてあります。中身はポテトとタラだったとも。
また、『すてきなあなたに』には、こんな話も。

「髪はまっしろ、茶色いウールの半コートの下の、いくぶんフレヤーのスカートは、コールテン、靴下がまた木綿の、やっぱり女学生の紺なのです。」

これはその昔、ロンドンで見た年輩の女性の着こなしとして。
コールテンは、日本語。コオデュロイは英語。
「コール天」とも。「天」は天鵞絨の天。つまり絹ビロードに対する綿ビロードの意味なのですね。
どなたかブルウのコールテンでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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