ブラシは、刷毛のことですよね。
「刷毛に毛があり、禿げに毛がなし」。そんな言葉遊びもあります。同じような言葉でも濁点があるのとないのとでは、意味が違ってくることを、教えてもいるのですが。
英語の「ブラッシ」brusse は、古いフランス語の「ブロス」brosse から出ているらしい。それは「擦る」の意味であったという。
ブラシの意味もなかなか広くて。たとえば狐なんかのふさふさした尻尾も、「ブラシ」と呼ぶことがあるんだとか。
あるいはまた、ティロリアン・ハットの飾りにつかう小さな刷毛の飾り。あれもまた「ブラシ」なんだそうですね。
ブラシが出てくる小説に、『残光』があります。1959年に、吉田健一が発表した物語。
「どこか他所で今脱いだばかりの服の上衣にブラツシを掛けたり、ズボンをプレスしたり、ワイシャツをドライ・クリーニングしたりしてゐるのが一種の最新式の装置で見えて、それで安心して一層寛いだ気持になる」
吉田健一は『残光』の中に、そのように書いてあります。
まさに吉田健一ならではの独特の文体になっていますね。これはどうも金沢あたりの宿での様子らしいのですが。
なんだか吉田健一の夢の世界に入ってゆくような語り口になっています。
いや、その前に、吉田健一の場合、小説なのか、随筆なのか、判然としないところがあります。この場合の主人公は、「辰三」と設定されているので、ああ小説なんだなあ、と思うだけ。もし、これが健一なら随筆になってしまうでしょう。雲の上を歩かされている気分にさせてくれる点では、吉田健一の文章は、天下一品と言うべきでしょう。
先に引いた文章のすぐ後に、こんなふうにも書いてあるのですが。
「ワイシャツのカラの両端に通してある小さなセルロイドの皺避けの細長い板もちやんと抜いてゐて、ここの洗濯屋が心得たものであることが解る。」
吉田健一は、ごく自然なカーヴの襟がお好きだったのでしょう。あれは「カラア・ステイ」と呼ばれるものなのですが。
ブラシが出てくる伝記に、『ポワロと私』があります。
『デビット・スーシェ自伝』。2013年の発行。デビット・スーシェが映画で『ポワロ』に扮した俳優であるのは、言うまでもありません。
「いつも帽子に「丁寧」にブラシをかけてから部屋を出る。」
ポワロには、全部で93の癖があって。そのひとつが、毎日の帽子へのブラシだったそうですね。
また、『伝記』にはこんな話も出てきます。
「担当の着つけ役が、上着のボタンホールに小さな花を挿した花瓶型のブローチをつけてくれた。」
ここでの「花瓶型ブローチ」は、たぶん「フラワー・ボトル」のことかと思われます。
ブートニエールの新鮮さを保つための、細長い花瓶。襟裏にクリップで吊るしておくのですね。
どなたかフラワー・ボトルが似合いそうなスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。