ダブリンは、アイルランドの首都ですよね。
ダブリンに生まれた偉大なる作家と言えば、ジョイスでしょうか。もちろん、ジェイムズ・ジョイスのことです。
ジェイムズ・ジョイスの代表作のひとつに、『ユリシーズ』があります。また、二十世紀最高の作家とも呼ばれる作家。
ジェイムズ・ジョイスは1882年2月2日。ダブリンの郊外、ラスガ・ブライトン・スクエア四十一番地に生まれています。お父さんの名前はジョン・ジョイスであったという。
お父さんのジョン・ジョイスは話術の名人だったとの説があります。たとえば。当時、ダブリンに「J・H・カース」という洋服屋があって。この店で服を誂えたのが、ノルウエイの船長。ところが服を着てみると、身体に合わない。で、船長は洋服屋に文句を言った。すると洋服屋は言った。
「服は身体に合わせるものではなくて、服に身体を合わせるものだ。」
これはほんとうにあった話らしい。でも、ジョン・ジョイスがこの話をすると皆が皆大笑いしたという。
この親にしてこの子あり、とでもいえば良いのでしょうか。
1891年9月1日。ジョイスは「クロンゴーズ・ウッド・カレッジ」に入学。この時、先生に歳を聞かれて、「ハーフ・パスト・シックス」。
この言い方が面白いというので、「ハーフ・パスト・シックス」はジョイスのあだ名になったそうですね。
1891年、九歳のジョイスは、『ヒーリーよ、お前もか』の政治小説を書いています。これを読んだお父さんは文才ありと感じて、パンフレットに印刷して、配ったという。ただし、今では現存してはいないとのことですが。
1893年に、「クリスチャン・ブラザーズ・スクール」に。ここでは成績優秀につき、学費免除になっています。
1894年。全国中間試験で、いちばんの成績に。これによって20ポンドを得ています。この20ポンドで両親に御馳走し、あとは貯金したとのこと。
その後、この20ポンドは、成績優秀なので、三年間、支払われることになったそうですね。
1898年に、「ユニヴァーシティ・カレッジ」に入学。
「当時彼は背が高く、庇のある制帽を被り、余り白くもないテニス靴をはいていた。」
その頃、学友だったハードリック・コテムは、そのように懐古しています。
「庇つきの帽子を後ろにずらせて、青銅いろの顔に乱れた髪を垂らして、門のそばに立っていたっけ。」
ジョイスが1914年に発表した『ダブリンの市民』に、そのような一節が出てきます。
これはフランクという男の様子として。フランクは、船員。また、イーヴリンの男友達でも。ここでの「庇つきの帽子」は、マリン・キャップではなかったでしょうか。
ダブリンが出てくる小説に、『パイプという犬』があります。フランスの詩人、フランシス・ジャムが、1933年に発表した散文。
「英国系アメリカ人のアーサーファー=ウエスト・ダブリン卿が、その風変りな別荘、キヅタで隠された秘密の扉を閉めようとしていた。」
『パイプという犬』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「ニッカーボッカーは黒と黄色の市松模様のスポーツ靴下の上でとまっている。」
「市松模様」。フランスなら、「ダミエ」damier でしょうか。英語の「チェックス」に相当するものでしょう。
どなたかダミエの靴下を編んで頂けませんでしょうか。