ページボーイは、昔の小姓のことですよね。もっとも今ではページボーイも小姓もあまり遣われない言葉になってはいますが。
でも、おしゃれ語にはまだ遺っていますね。「ページボーイ」は、女の人の髪型に。
平たくいえば、「おかっぱ」。少し気取って申しますと、「ボブ」でしょうか。毛先を内側に巻いておくのが、特徴でしょう。
昔、貴族に仕えた小姓の髪型に似たものなので、「ページボーイ」。時に、「ページボーイ・ボブ」と呼ぶこともあるようですが。
page boy と書いて「ページボーイ」と訓みます。
一頁目、二頁目と言う時のページと同じ綴り。
でも、一頁目、二頁目のほうは、1589年頃からの英語。小姓を指すほうのページは、1300年頃から用いられています。
つまり小姓のページのほうが、頁よりもはるかに古いのですね。
そもそも「ページ」自体に「少年」の意味があって、その後で「ページボーイ」の言葉が。つまり「ページボーイ」は、重語でもあるわけです。「子供少年」と訳せなくもありません。
おしゃれ語としては、「ページボーイ・ジャケット」の言葉も。着丈が短くて、身体にフィットして、前ボタンの数が多い上着。「ベルボーイ・ジャケット」とも言います。
今でもホテルなどの制服に見られるデザインのことです。
ページボーイは中世の貴族に仕えた少年の意味。日本の「小姓」とよく似たところがあります。
「お小姓は童でございます。お眉をお付遊ばして、さげ下地にお結遊ばすお屋敷もござりますとさ、」
文化十年(1814年)に、式亭三馬が発表した『浮世風呂』に、そのような会話が出てきます。
『浮世風呂』はその名の通り、湯屋での会話が中心になっています。江戸期にも「小姓」の言葉が用いられていたのでしょう。
式亭三馬の『浮世風呂』には、おしゃれの話も出てきます。
「路考茶の縮緬に一粒鹿子の黑裏で、下へ同じ一粒鹿子の引返しを二ツ着て、緋縮緬の襦袢に白繻子の半襟で、鼠の厚板の帯のこりこりする九寸幅。」
これは「おいへ」という女客が、「お壁」というやはり女客に話している会話として。
ここでの「路考茶」は、文化七年頃からの流行色。やや黄味がかった茶色のこと。
歌舞伎役者の、二代目瀬川菊之丞が、『八百屋お七』で、下女の「お杉」を演じた時の着物の色。ここから「路考茶」が流行りに流行ったという。
これは『浮世風呂』のほんの一例ですが、おしゃれの話がたくさん出てきます。
この『浮世風呂』を読んでおりますと。私たちの服飾美学は、いったい進歩しているのか、それとも退化しているのか。分からなくなってくるほどです。
少なくとも、江戸期のおしゃれ美学に学ぶことは少なくありませんね。
ページボーイが出てくる小説に、『ポトマックの最後』があります。フランスの作家、ジャン・コクトオが、1940年に発表した物語。
「どんな王子も、長にあたる人間も、大臣も、ジャーナリストも、地質学者も、ボーイスカウトも、ホテルのページ・ボーイもアパートの管理人も、オクトーヴに対しては、批判めいた言辞はまったく弄さなかったであろう。」
同じくジャン・コクトオが書いた小説に、『大股びらき』があります。
ここでの「大股びらき」は、バレエでいうところの、「ル・グラン・テカール」のこと。両脚を前後に大きく開いて、床に密着させるテクニックを指しています。
コクトオとしてはおそらく「放れ技」の意味で用いたものと思われるのですが。
「洗濯女のような白っぱくれた顔をした若い男が、ケープを引っかけ、真珠の首飾りを下げて、」
そんな一節が出てきます。
ここでの「ケープ」は、「ペルラン」pelerin のことかと思われるのですが。
ペルランは、やや着丈の短いケープのこと。
どなたか現代的なペルランを仕立てて頂けませんでしょうか。