この上なく洒脱な帽子
ボーターのことを日本では、「カンカン帽」という。なぜ「カンカン帽」であるのか。ボーターの表面を指を丸めて叩くと実に良い音で「カンカン」と鳴る。それで「カンカン帽」。嘘のような本当の話である。
ボーターはまた、「麦稈帽」とも。麦藁を編んで仕上げるからである。パナマ・ハットがヒーピーハーパーの繊維で編まれるのに対して、麦藁で編むのがボーター。似て非なる帽子ということになる。
ボーター boater はもともとは、「ボート遊びする人」の意味。そしてボート遊びする人が被る帽子であるから「ボーター」と呼ばれるようになってのだ。すでに触れたように、ボーターは、ストロー・ハットの一種。ただし一度編んだ後に、熱と力とを加えて固めているところに特徴がある。ストロー・ハットの種類は多いが、固めて仕上げるのは、ボーターだけなのだ。
よく知られているように、フランスでは「カノティエ」 canotier という。これは「舟を漕ぐ」という意味の「カノタージュ」から来ている。イギリスでのボーターとほぼ同じ発想から生まれた表現であろう。フランスでのカノタージュを有名にした人物に、モーリス・シュヴァリエがいる。シュヴァリエはいつ、どんな時でも舞台上でカノティエを愛用したからである。
1863年『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』に、オックスフォード大学対ケンブリッジ大学のテムズ川でのボートレースの様子が描かれている。そこにはすでに、低いクラウンのボーターを被った選手たちが出ている。少なくとも1860年頃にはボートレースにボーターを被る習慣が生まれていたものと思われる。
ハット・バンドの色までは分からないが、おそらくはダーク・ブルーとライト・ブルーとに色分けされていたのであろう。これは両校のスクール・カラーであったから。このストロー・ボーターの下には、半袖のジャージーのシャツと、白いトラウザーズとを穿いている。
もともとはボートレース専用であったボーターはやがて様々なスポーツ用としても使われる。たとえばクリケットであり、ゴルフであり、サイクリングであったりした。十九世紀のスポーツ・ウエアは盛夏服を転用したもので、それにふさわしくもあったからであろう。
この純然たるスポーツ・ウエア、もしくはカレッジ・ウエアであったボーターが、タウン・ウエアとしても使われるようになってのは、1893年頃のことであるようだ。
「昨年の夏からロンドンっ子は自由にストロー・ハットを被るようになった。少し前までなら、街中でのストロー・ハットはちょっとした事件であったろう。しかし今やロンドンの街中でも人びとは高いクラウンのトップ・ハットよりも、ストロー・ハットのほうが粋であると言わんばかりに被っている。」
これは1894年の『テイラー&カッター』誌の一節である。1894年から見て「昨年の夏」というのだから。1893年頃からストロー・ボーターがロンドンで流行しはじめたと、考えて良いだろう。
1894年からさらに二年後の1896年『リヴァー』誌に次のような記事が出ている。
「ウッド・ストリートの外れのある店で、皇太子様がボーターをお買い求めになり、なおかつそれをお被りになったのは、まさにニューズというべきであろう。」
ここでの「皇太子様」が後のエドワード七世であることは、いうまでもない。ウッド・ストリートはロンドンの商店街。昔、「マイトル・タヴァーン」があった辺り。「マイトル・タヴァーン」はかのサミュエル・ジョンソンが贔屓にしたパブであったという。
それはともかく、十九世紀末のボーターは必ずしも上流階級の紳士用ではなかった。そう考えてみると、エドワード七世もまたボーター流行に一役かった人物であるのかも知れない。