ボタン(button)

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静謐なる勲章

ボタンは服の着脱に使われる円盤状の留め具のことである。
フランスでは、「ブトン」 bouton 。イタリアは、「ブトーネ」 buttone 。これらは古いフランス語で、「蕾」を意味する「ブトン」 bouton から来ているという。ボタンの形が花の蕾に想えたからであろう。
「ボタン」は、日本語。より英語らしい発音なら、「バトン」であろうか。昔、アメリカの歌が流行って、何度聴いても、
バッテン・ボー……
と、歌っている。大人になって分かったのはそれは、『ボタンとリボン』であった。つまり「バトン・アンド・ボウ……」button and bow だったのだ。
「バッテン」といえば、その昔、ボタンを付ける時の縢り方を「バッテンにするのか、二の字にするのか」で、論争があった。
たしかにボタンは服を着る時に役立ってくれる留め具である。しかし「二つボタン」と、「三つボタン」とでは、その服の意味が違ってくる。前者はモダン派のスーツであり、後者はクラッシック派のスーツであるからだ。これも昔の話ではあるが、「七つボタン」はそれだけで海軍の制服を意味したものである。
ボタンは服の道具であると同時に、静かなる服の勲章でもある。
今日のボタンのはじまりは、チャイニーズ・ノット ( とんぼ頭 ) である、との説がある。別言するなら、まずボタンらしきものがあって、その後にボタン・ホールが生まれたのだ。
つまり最初はボタンをループに留めた。そのボタンとループの元祖はチャイニーズ・ノットであった、とするわけである。チャイニーズ・ノットは一説に五世紀に生まれていただろうと、考えられている。一方、今のボタン・ホールは十三世紀の南フランスで生まれたとの説が有力である。

「衣服の留具として用いられるようになったのは、十三世紀ごろ、衣服の緊密化が進み、衿ぐり、袖口に首、着脱の時の前開きを必要とするようになってからであり、十字軍の遠征によって東方、とくに蒙古服の前開きのとんぼ頭に出会ったことによるといわれている。」

丹野郁編『総合服飾史事典』 ( 昭和五十五年刊 )では、そのように解説されている。現在のボタンは東洋から西洋に齎されたもの、とも考えて良いだろう。西洋でのボタンの先進国は、フランスであったろうと思われる。それというのも、ルイ九世の時代にすでにボタン製造がはじまっているからだ。
教会での祈りに使われるロザリオ作りの職人に対して、ボタン製造の許可が出されているからである。ここからごく単純に考えるなら、現在のボタン作りの源はロザリオにあったのかも知れない。
その後のボタンは、金、銀、象牙、宝石などでも作られるようになる。服の留め具であると同時に豪奢なる装飾品でもあったわけである。
英国で金属製のボタンが作られるようになったのは、1689年のことである。それはバーミンガムではじまっている。この金属製のボタンはおそらく軍服との関係があったものと思われる。
一方、女性用としてはシルク・ボタンが多く用いられた。今でいう「セルフカヴァード・ボタン」で、シルク地で包んだボタンだったのだ。

「ぼたんは金銀にて巻きたるものなり。その製一つならず、蛮名 ( おらんだめい ) 「コノープ」という。衣服の倶裁 ( ともぎれ ) にて包みたるもあり……」

森島中良著『紅毛雑話』 ( 天明七年刊) には、そのように出ている。「ぼたん」には、古くて美しい漢字が使われているのだが、探し得なかったので「ぼたん」と開かせて頂いた。
天明七年は、1787年のことであり、その時代にも「くるみボタン」はあったものと思われる。
英語としての「ボタン」は、1340年頃から使われているという。少なくともシェイクスピアの演劇にボタンが登場することは間違いない。

「頼む、このボタンをはずしてくれ。 ありがとう。」
シェイクスピア作 小田島雄志訳『リア王』の一節。これはリア王が部下に言う科白。つまりリア王はボタン付きの服を着ていたわけである。『リア王』は1606年頃の作であろうと考えられている。その時代の英国では「ボタン」が何であるか、誰もが理解していたのであろう。

「謙三郎は羞じなる色あり。これが答は為さずして、胸の間、釦鈕 ( ぼたん ) を懸けつ……」

泉鏡花著『琵琶傳』 ( 明治二十二年刊 ) の一文。柏木謙三郎は、書斎にいて、西洋服を着ているという設定。

「黒い服のボタンをぴっちりとはめている。むきだしのボタンが蠟燭の光を照りかえした。」

ジェイムズ・ジョイス著高松雄一訳『ダブリンの市民』 (1914年刊 ) に出てくる一文。これはギオン神父の姿。ただし、時代背景は二十世紀はじめ頃のこと。
当時は「むきだしのボタン」は、あまり褒められたことではなかったのだろうか。

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