双子毛糸
トゥインセットはスゥエーターとカーディガンを、同一糸、同一色で一対にしたもののことである。
トゥイン twinは古代英語の、「トゥイン」 twinn からきているという。それは「二倍」の意味であった。人と人が二倍になれば、トゥイン ( 双子) の意味になる。ニット・ウエアも、スゥエーターとカーディガンで二倍になれば、トゥインセットになる。
トゥインセットはふつう、「twinset」と間を空けずに、書く。が、時によっては、「twin-set」と間にハイフンを置くこともあるらしい。
また、トゥインセットのことを、「スゥエーター・セット」とか「カーディガン・セット」の名で表現することもある。が、もともとはトゥインセットから出たものである。
トゥインセットは、1930年代に「プリングル」 Pringle によって考案された組み合わせ。それ以前にはあらかじめ両者を同一の糸と色で、重ねるためのニット・ウエアは存在しなかったのである。
1930年代にトゥインセットが登場したことで、カーディガンの服飾上の地位が向上した。カーディガンが充分、上着代りになることを証明した点で。
トゥインセットを着、首元のパールのネックレスをあしらえば、貴婦人が完成したのである。その昔、ニット・ウエアが「下着に準じるもの」であったことを考えるまでもなく、大出世であった。
プリングルは、正しくは「プリングル・オブ・スコットランド」と称する。1815年、ロバート・プリングルによって、スコットランドの地に生まれているからだ。
1815年のプリングルは、靴下メーカーであった。ラム・ウールを紡ぎ、染め、編んだ。このラムウール・ソックスは好評だった。それ以前の靴下に較べて、高品質だったからである。そのためにプリングルでは、やがてアンダー・ウエアをも手がけるようになるのである。その特徴は、原毛からの、一貫生産にあった。
プリングルが本格的にニット・ウエアを編むようになったのは、1920年代のことである。
プリングルのニットウエア・デザイナー、オットー・ワイスが「トゥインセット」を発案したのは、1934年のことであった。
はじめのトゥインセットは、クルーネック・スェーターに、やはりクルー・ネック型のカーディガンを揃えたものであったという。つまり糸と色に加えて、デザインにおいても、セットされていたわけだ。前開きボタンの数は、十個。やや透明感のあるボタンが用いられたようである。いずれにしてもトゥインセットの登場によって、スェーターやカーディガン、ニット・ウエア全体の格が上がったことは、言うまでもない。
そのようなわけで、イギリスでは皆までトゥインセットといわなくても、「プリングル」だけでそれを指すことがある。
今、プリングルは世界の約五十カ国に輸出している。もちろんスコットランドを代表するニットウエア・メーカーである。1948年には、英国皇太后のロイアル・ワラントを受けている。
また、1956年にはエリザベス女王の御用達にも選ばれている。なお、アン王女のスェーターもプリングル製であるとのこと。
プリングルは、スコットランド、ロクスバラ、ホウイック、ヴィクトリア・ミルに本社こうがある。ここでは千人を超える人々が働いている。
2005年、プリングルは創業190年を祝った。各十年毎の復刻版を、十九点作ることで、それを祝ったのである。
「この店に入ると、クラッシックなスェータを見つけることができる。伝統的なトゥインセットももちろん並べられている。」
1937年『ニューヨーカー』誌1月9日号の記事の一節である。1937年ということは、1934年の誕生から数えて、わずか三年後。三年で「伝統的」と形容されるトゥインセットは、なんと幸せ者であろうか。
「私はウォルトのドレスを持って行き、それをカシミアのトゥインセットと交換した。」
英国の作家、マルガニータ・ラスキン著『奢侈税への愛』 ( 1944年 ) に出てくる一文。シャルル・フレドリク・ウォルトは、イギリスに生まれ、フランスで活躍したオートクチュール・デザイナーである。
「ソフィア・ローレンはきちんとしたトゥインセットを着て、ロシアの各地を歩いたものである。」
1970年『リスナー』誌8月27日号の一節に、そのように出ている。
トゥインセットが貴婦人用であることは、よく分かった。しかし紳士がトゥインセットを着てはいけない、という法もないのである。