フジタとフェドーラ

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フジタで、画家でといえば、藤田嗣治でしょうね。藤田嗣治の愛したもののひとつに、猫がいます。
フジタは猫を愛したばかりでなく、多く絵にも描いています。そのフジタに犬を描かせたのが、藤原義江。藤原義江と藤田嗣治が料亭で、食事。この時の座興でフジタが藤原義江に「なにか描いてあげよう」。と、藤原義江は「どうか犬を」と所望したという。
1922年にはじめてフジタに会ったのが、薩摩治郎八。薩摩治郎八、二十一歳くらい。藤田嗣治、三十六歳くらいの時。
薩摩治郎八はパリで、あまりにフジタの名前が有名なので、すぐに会いに行った。ドランブル街4番地の、当時の自宅に。これ以降、藤田嗣治と薩摩治郎八は、肝胆相照らす仲になったという。そんなことから、1929年にはパリ「日本館」の壁画を描くことになった。この壁画について、薩摩治郎八はフジタに三十万フランの画料を払ったそうです。
1929年5月10日。「日本館」完成のパーティーが「オテル・リッツ」で。パーティーの後で、薩摩治郎八はフジタやモーリス・ラヴェルと一緒に、「グラン・デカール」へ。ここで薩摩治郎八が、その頃に流行っていた『ダイナ』をリクエスト。フジタは『ダイナ』に合わせて踊ったそうです。
ところで薩摩治郎八の「日本館」を設計したのが、ピエール・サルドゥー。ピエール・サルドゥーは、ヴィクトリアン・サルドゥーの息子。ヴィクトリアン・サルドゥーといえば、『フェドーラ』。この『フェドーラ』の劇から今の「フェドーラ」が生まれたのは、言うまでもないでしょう。

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