さようならは、わりあいとよく使う言葉ですよね。誰かとどこかで会って、分かれる時に、「さようなら」。
マヒナスターズの歌に『泣かないで』というのがあります。が、これの歌い出しもまた、「♬さようならと、さようならと………」。そんな風にはじまるんですね。「さようなら」がないことには歌もはじまらないわけです。
さようならは、昔の「左様ならば」が短くなったことばではないでしょうか。人に会って、ひととおりの話が終わったので、「左様ならば」。そうでありますなら、お別れですね、と。
もう少し古い言い方に、「さらば」。これもたぶん「然らば」から来ているんでしょうね。「さらば」が良いのか、「さようなら」が良いのか。これはまあ、好みの問題でしょう。
たとえば、『さらば愛しき女よ』であるのか、『さよなら、愛しい人』であるのか。『さらば愛しき女よ』は、清水俊二訳。『さよなら、愛しい人』は、村上春樹訳。原作は、レイモンド・チャンドラー。原題は、『フェアウエル、マイ・ラヴリー』 Farewell、My Lovely 。これをどうやって日本語にするか、という問題。チャンドリアンにとってはおろそかにはできません。チャンドリアンはもちろん、「チャンドラー愛好家」の意味なんですが。
『さよなら、 愛しい人』の中に。
「フィリップ・マーロウ。今日の午後から変わっていません」
そんな科白が出てきます。依頼人の、リンゼイ・マリオットに対しての、マーロウの言葉。午後4時30分頃に、事件の依頼の電話が。その時、「7時に………」と約束。マーロウが約束の時間にマリオットの自宅を訪ねると、「どなた?」と、マリオットが言う。そこでの、マーロウの文句なんですね。
レイモンド・チャンドラーには、こんなしゃれた表現が少なくありません。
「ロット オブ マネー 、 オール ウエイステッド」
これはハリウッド映画に対する、チャンドラーの感想。これは伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』に出てきます。伊丹十三もまた、チャンドラーに目を通していたのでしょうね。また、こんな描写も。
「白いポロシャツに、茶のスウェイドの上衣を着ています。」
これはハリウッドで、映画監督の、ニコラス・レイに会った時の、彼の着こなし。うーん。そろそろスゥエードもいいですね。
ところで伊丹十三、ニコラス・レイと分かれる時、なんて言ったのか。「さようなら」か、「さらば」か、「バイ」だったのか。