白秋とタキシード

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白秋はもちろん、北原白秋ですよね。白秋の本名は、北原隆吉。白秋の号名は、たまたま偶然に決まったんだそうですね。
明治三十四年頃に、皆で集まって、同人誌を作ることに。この時、頭に「白」をつけようと。そして下の文字は、くじ引きで。そして北原には、「秋」が当った。で、白秋と。白秋で思い出す歌に。

♬ 土手のすかんぽジャワ更紗…………

というのがあります。もちろん、『すかんぽの咲く頃』ですよね。すかんぽの花の様子を、ジャワ更紗に喩えたところが、忘れられなくて。更紗は、チンツのことですね。はるか遠い昔、インドにはじまる染め柄。もちろんジャワをはじめアジアの国々にも伝えられています。
明治四十二年頃、インドネシアで更紗を見た人物がいます。竹越与三郎。竹越与三郎は、福澤諭吉の弟子で、記者にして、後に政治家にもなった人物。それは著書『南國記』に詳しく、出ています。

「之を作るのに先づ白布を油に浸して之を乾し、更に之を油に浸して…………」。

と、はじまって、えんえんと更紗の現地での染め方について、詳述しています。更紗の具体的な記録としては、比較的はやい例でしょう。
それよりも前、竹越与三郎は香港からシンガポールに船で渡っています。それは八千トンに近い、「アッセイ号」だったという。この船での様子として。

「濃厚なる英國料理を食ひ、黒羅紗の燕尾服、若しくはタキシードを着用する…………」。

これまた、旅行記にあらわれた「タキシード」としてはかなりはやい一例かと思われます。
時には、タキシードが似合う食事をしてみたいものですね。

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