ステンドグラスとスーツ

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ステンドグラスは、美しいものですね。いや、神々しいものであります。ステンドグラスといえばやはり教会を想い浮かべるからでしょうか。
ステンドグラスと教会の結びつきは、十二世紀にはすでにはじまっているようです。たとえばフランス、サン・ドニ教会において。1144年のことです。
当時、サン・ドニ修道院の院長だったのが、シェジュール。シェジュールが言いはじめて、教会の窓にステンドグラスを。1144年に完成したという。窓から射し込む外光に、神の再来を感じるためであったのでしょう。
ステンドグラスは教会に限ったわけではなく、学校にもあったらしい。

「講堂は高い天井に白い壁をめぐらし、窓にはステンドグラスがあしらってある。」

幸田 文は、『草の花』の中にこのように書いています。これは幸田 文が当時の「お茶の水高等女学校」を受験した時の想い出。時代は、明治末期のことでしょうか。ステンドグラス。教会にも学校にも、もっと多く使ってもらいたいものです。私たちの心が少しでも平安になりますように。
D・H・ロレンスが1907年に発表した短篇に、『ステンドグラスのかけら』があります。これは文字で読むステンドグラスなのでしょうか。
D・H・ロレンスはまるでステンドグラスのように多彩な短篇を多く書いた人物であります。その中のひとに、『サムソンとデリラ』が。1917年の発表。これはちょっとした『父帰る』を想わせる内容になっているのですが。この中に。

「彼が着ていた深い灰色のスーツは裁断がよく、ぴったり体に合っていた。アメリカ風の服装で、襟も折り返してあった。」

これは、ウィリー・ナンカーヴィスという人物の着こなし。十六年ぶりの「父」の姿。
1917年の頃。英國人はそのスーツを見て、「アメリカ風」と識ることができた、貴重な資料でもでもあるでしょう。
身体に合ったスーツで、ステンドグラスに神を感じたいものであります。

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