ひと口にクリイムと言っても、いろんなのがありますよね。大きく分けて、食べられるクリイムと、食べられないクリイムと。
生クリイムは食べるものです。女の人が肌に塗るクリイムは食べるものではありません。
そこで、食べるほうのクリイムについて。クリイムを作るのは簡単といえば、簡単です。いや、正確には「ホイップ・クリイム」と呼ぶべきなんでしょうが。
小さな紙箱に入った生クリイムを買ってきて、これをボールに。少しの砂糖とヴァニラを加えて、泡立てる。もういいかげん手がくたびれた頃、白い淡雪が完成しています。
この淡雪クリイムは、いろんなところで活躍してくれるでしょう。バームクーヘンを食べる時とか。あるいは苺を食べる時とか。
「夏は氷盤に苺を盛つて、旨き血を、クリームの白きなかに溶し込む所にある。」
明治四十三年に、夏目漱石が書いた『虞美人草』にそのような出ています。これは「文明」とは何かの一例として。漱石に言わせると、苺にクリイムをかけるのは、「文明」だったのでしょう。
「細谷君て女のひと、あなたのお友達?」機嫌のよい梅村は、コーヒー茶碗に浮いたクリームをゆっくり掻きまぜた。
武田泰淳が、昭和二十七年に発表した『風媒花』にも、クリイムが出てきます。この頃にはまだ、「ウインナー・コーヒー」の言い方は一般的ではなかったかも知れませんね。
クリイムが出てくる小説に、『新アラビア夜話』があります。1882年に、英國の、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが発表した物語。
「僕は哲学の講釈をしに来たんじゃありません。このクリームタルトを配りに来たんです。……………」
もっともこれには、「クリームタルトを持った若者の話」が章題ですから、「クリームタルト」が出てくるのも当たり前でしょう。
この『新アラビア夜話』が出てくる短篇に、『自動車を待たせて』があります。1908年頃に、O・ヘンリーが書いた小説。
「見ると、表題には『新アラビア夜話』とあり、作者はスティーヴンソンという名だった。」
これはもう物語が終わろうとするところに、出てきます。そして例によって例のごとく、いかにもO・ヘンリーらしい、皮肉な結末になっているのですが。そしてこの短篇のはじめに。
「もういっぺんくり返す。彼女の服はグレーだった。スタイルといい、仕立といい、一点非の打ち所もなかったが、地味なために、目立たなかった。」
O・ヘンリーは、そんなふうに書いています。
グレイは男にとっても、基本の色です。よく、「グレイ・フランネル」といわれるように。グレイ・フランネル・スーツさえ着ていれば、間違いない。そんな印象さえあります。
たとえば、うんと難しい配色のネクタイがあったとしたら。ミディアム・グレイのスーツに結んでみる。その奇抜さが軽くなることがあります。
グレイ・スーツを着て。美味しいクリイムを食べに行くとしましょうか。