黒は、色の名前ですよね。無彩色の突き当たり。もう一方の突き当たりが、白。
白と黒との間には、星の数ほどの灰色があるわけですね。黒はまた、おしゃれな色であります。黒無地のスーツで、白無地のシャツ、それにグレイの無地のネクタイを結ぶ。これでその着こなしが自然に見えたなら、よほどの洒落者だと、言って良いでしょう。
十九世紀のダンディ、ボオ・ブランメルもまた、黒の服がお好きだった。黒は、沈黙の色。深遠の色。謎の色。そして、シルエットを表現するのに、もっとも適した色。そんなことでから、ボオ・ブランメルは、黒の服を好んだじょではないでしょうか。
逆に、黒の服を仕立てさせて、シルエットが曖昧であったなら、それは失敗の服ということになります。黒は難しい色であるのかも知れませんね。
黒は黒でも、黒文字。黒文字と書いて、「くろもじ」と訓みます。もともとは、木の名前。どうして「黒文字」かと申しますと、木肌の表面に、黒い斑点があるから。これが見方によっては、文字のようにも思えるからでしょう。
江戸時代の昔から、黒文字は上等の爪楊枝の材とされたものです。木の当たりが柔らかく、薫りの佳い樹木なので。
江戸末期くらいまでは。食事が終った後で。「黒文字をひとつおくんな」なんていうのは、粋な科白だったようですね。その心は。「この店だったら、黒文字の爪楊枝くらい置いてあるだろう」ということだったのでしょう。
「黒」はミステリと深い関係にあって。1960年に、松本清張が発表した、『黒い樹海』だとか。松本清張は、「黒」を含め題のミステリをたくさん書いています。
黒と、ミステリ。これはなにも日本に限ったことではありません。
アメリカも、ウイリアム・アイリッシュは、1940年に、『黒衣の花嫁』を書いています。ウイリアム・アイリッシュもまた「黒」のつくミステリを、たくさん書いているのですが。
やはり黒とミステリは、よく似合うと、言わざるを得ません。
小沼 丹にも、『黒いハンカチ』があります。小沼 丹の本名は、小沼 救。これで、「おぬま はじめ」と訓ます。本業は早稲田大学の英語教授。その一方で、随筆の名手でもあったお方。井伏鱒二を師と仰いだ人物でもあります。
1958年の『黒いハンカチ』の中に。
「女は片手に小型のボストン・バッグを提げていた。」
この「ボストン・バッグ」は、何度も出てきます。「ボストン・バッグ」は、れっきとした和製英語。昔のアメリカでは、「クラブ・バッグ」と呼んだらしい。
ボストン大学の学生がクラブ活動に用いたので、「クラブ・バッグ」。それが大正十二年頃に、日本に伝えられて、いつの間にか、「ボストン・バッグ」となったようですね。
もともとの「クラブ・バッグ」がどんなものであったのか、興味あります。
でも、色はやはり黒だったでしょうね。