モオツアルトとモノクル

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モオツアルトは、偉大な作曲家ですよね。アマデウス・ヴォルフガング・モオツアルト。
モオツアルトは1756年1月27日に、ザルツブルクに生まれています。では、なぜ、モオツアルトはザルツブルクに生まれたのか。
お父さんのレオポルトがザルツブルクに住んでいたから。若き日のレオポルト・モオツアルトは、音楽を学ぶために、ザルツブルクに留学していたことに関係しています。
事実、レオポルトはたいへん優れた音楽家だったのです。ザルツブルクの宮廷音楽家だったといえば、充分でしょう。
そのレオポルトがある日、息子、アマデウスの並々ならぬ天才に気づいて、すべてを息子の教育に捧げたことから、「モオツアルト」が誕生したのであります。

1791年に、モオツアルトが『レクイエム』を作曲しているのは、広く識られているところでしょう。
突然、見知らぬ男がモオツアルトを訪ねて、「さる高貴なお方のために」と言って、レクイエムを依頼するのです。モオツアルトはこの『レクイエム』で合計、150ドゥカーテンを得ています。
この「高貴な依頼人」が誰であったかは、謎のままなのですが。
同じ年、7月26日。アマデウスの息子、フランツが生まれています。
このフランツの耳の形が、父親そっくりだったとのことです。
モオツアルトの耳の形はふつうではなかった。やや長方形だったという。専門学的には、「モオツアルト耳」の言葉があるとのことです。
その「モオツアルト耳」を、フランツもまた受け継いでいた。だからとは申しませんが、フランツもまた音楽の才能に恵まれていたのですね。

「モツァルトの父は、ドイツバヴァリアのウグイスブルグの出身であるが、音楽の勉強にここに送られ、そしてこの地に住みついたのである。」

津田正夫著『ウイーン物語』に、そのように出ています。昭和三十年の刊行。津田正夫は、「モツァルト」と書いているのですが。
また、津田正夫著『ウイーン物語』には、こんな話も出てきます。

「………一人のモノクルをした初老の紳士が若い娘を連れて入って来た。」

津田正夫が、「グリーヘンバイズル」というレストランで食事している時に。このレストラン「グリーヘンバイズル」は、1500年頃の創業とか。
これは1939年3月の話として。1939年のザルツブルクには、モノクル、片眼鏡の紳士がいらしたんですね。
どなたかモノクルを作って頂けませんでしょうか。

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