珈琲は、コーヒーのことですよね。また、カフェと呼ぶこともあります。英語のcoffee を漢字で書くと、「珈琲」になるわけです。
幕末から明治のはじめにかけて、私たちの先輩はコーヒーの漢字にずいぶんと苦労したらしい。たとえば、「可否」だとか。獅子文六の小説に、『可否道』があるのは、ご存じの通り。
明治三十年代に入って「珈琲」が優勢になったんだそうですね。明治末期には「珈琲糖」があったという。
「珈琲糖と称して角砂糖の内に一とつまみの粉末を封入したものが一般に愛用された時代であったが………」
寺田寅彦が、昭和八年に発表した『珈琲哲学研究序説』にそのように書いてあります。
珈琲糖。見た感じは角砂糖そのものなのですが、中に珈琲の粉が仕込んであって。コップに入れて湯を注ぐと、たちまち砂糖入りの珈琲になる代物でありました。
もしこれを即席珈琲だと考えますと、明治の時代にもすでに即席珈琲があったということになるでしょうか。
インスタント・コーヒーが日本に輸入されるようになったのは、1961年頃のことなんだとか。1961年に流行った歌が、『コーヒー・ルンバ』。たしか西田佐知子が歌っていたような記憶があります。
原題は、『モリエンド・カフェ』。もともとはヴェネズエラの歌。「コーヒーを挽きながら」の意味だったそうですが。
たしかに珈琲の味わいだけから申しますと、珈琲豆を自分で挽いて、ドリップで淹れたほうが美味しく感じられるようです。
珈琲が出てくる小説に『ちびの聖者』があります。1965年に、フランスの作家、ジョルジュ・シムノンが発表した物語。
「ルイはコーヒーを飲み、クロワッサンを食べためにカフェに入った。」
また、『ちびの聖者』には、こんな文章も出てきます。
「十年間というもの、彼は同じコールテンのスーツを着ていた。」
これももちろん「ルイ」の着こなしとして。それでよく画家に間違えられたとも、書いてあります。たしかに1920年代の巴里の画家はよくコオデュロイの上着とズボンとを履いていたものです。
どなた細畝のコオデュロイで、スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。