キャフェは、カフェのことですよね。café と書いて「カフェ」と訓みます。また、「キャフェ」とも。
同じ言葉から出た日本語に、「カフエー」が。大正時代には、「カフエー」といったんだそうですね。
でもカフエーは珈琲を飲むというよりも、主に酒を飲む所。大正語の「カフエー」と今の「カフェ」とは、似て非なる場所であったようです。
「………金鎖のついた高価な鉛筆をぶら下げてゐるのは、銀座辺のカツフエーでのみ見られる風俗であらう。」
永井荷風が、昭和六年に、発表した『カツフエー一夕話』に、そのように出ています。永井荷風は、「カツフエー」と書いているのですが。
その頃、銀座四丁目の角に「ライオン」というカフェーがあって、荷風もよく通ったという。その女給たちの服装に詳しいのも当然でしょう。
着物の上に、白い長いエプロン掛けて、ビールの栓抜きを挟んでいたんだそうです。白いエプロンの端は前で大きく蝶結びにしてあったとも。
今からざっと百年前の話ですが。荷風の『カツフエー一夕話』は、貴重な風俗史でもあるでしょう。
日本のカフェーとヨオロッパのカフェの違いは、原稿にあるのかも知れません。日本の文士はカフェーでは原稿を書かなかった。でも、ヨオロッパの文士はカフェで原稿を書いた。
たとえば、サルトル。たとえば、ボーヴォワール。サルトルは毎日、カフェに「出勤」して原稿を書いたという。巴里左岸の「フロール」や「ドゥ・マゴ」で。
では、なぜ、フロールやドゥ・マゴだったのか。ストーヴの具合によって。どちらか暖房がよく効いているカフェで原稿を書いたんだそうです。
ことに戦争中は、燃料を手に入れるにも苦労があったらしいので。
カフェが出てくる小説に、『嘔吐』があります。
「一時半。キャフェ・マブリーに行ってサンドイッチを喰べる。すべてがほとんど正常である。」
サルトルの『嘔吐』は、1938年の発表。『嘔吐』の背景は、ル・アーヴルに置かれています。サルトルは1931年から、1936年まで、ル・アーヴルで学校の先生をしていたので。そんなわけで、『嘔吐』には、ル・アーヴルの町の様子が詳しく描かれています。
「トゥルヌブリッド街十六番地に、ひさしつき帽子が専門のユルバン帽子店があって、店の看板に、金のふさが地上二メートルのところにまで垂れている大司教の赤い巨大な帽子を吊している。」
「ひさしつき帽子」は、「キャスケット」casquette でしょう。「シャッポオ」なら、鍔が全体にある帽子。前だけの鍔なら、「キャスケット」。
どなたかキャスケット専門店を開いて頂けませんでしょうか。