パリとパンタロン

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パリは、美食の都ですよね。美食の水準が高いということなのでしょう。
第一、客の方が黙っていませんからね。客は店に対して言いたいことはちゃんと言うお国柄なのでしょう。これでは店の方でも手が抜けないわけです。
戦前の巴里にお詳しいお方に、岩田豊雄がいます。岩田豊雄は、本名。筆名が、獅子文六。獅子文六は、大正十一年に巴里に遊学していますから。1925年まで巴里に暮しています
獅子文六が、昭和七年に発表した随筆に『モンマルトルの散歩』があります。

「画家といえば黒の広縁の帽子をかぶりバガボンドネクタイを結び、文士といえばアブサンに酔払った時代のことだ。」

昔のモンマルトルを懐かしんでの文章。「バガボンドネクタイ」は、ボヘミアン・タイのことかと思われます。
獅子文六がある時、モンマルトルを歩いていて、生ウニを出す店を発見。そのカフェに入って、注文。皿の上に、生ウニが出てきて。食べ方が分からない。途方にくれているとボーイがやってきて。器用に殻を開いて、食べられるようにしてくれた。そんな話も出てきます。

1833年6月19日に、巴里の「ロワンティエ」で、夕食会があったという。
1999年に、ベルナデット・ショヴロンが発表した『赤く染まるヴェネツィア』に出ている話なのですが。
レストラン「ロワンティエ」は、巴里のリシュリュー街104番地にあって。この日の主催者は、フランソワ・ビュロ。当時、もっとも力のあった出版人のビュロ。
この席に招待されていたのが、サンドとミュッセ。サンドとミュッセは、この時が初顔合わせ。
アルフレッド・ド・ミュッセがたちまちジョルジュ・サンドに牽かれたのも当然だったでしょう。
若く美しい女性が男装していたので。

「宝石をはめ込んだ小さな短剣をベルトに挿していたが、この短剣がミュッセの関心を大いに引いた………」

『赤く染まるヴェネツィア』に、そのように出ています。ここからサンドとミュッセとの恋愛が生まれて、後に一緒にヴェネツィアに旅したのは、有名な話でしょう。
では、その時のミュッセの服装はどうだったのか。

「ミュッセはすらりとした体つきを優雅に強調する上着と、流行に倣って、ぴったり合ったスカイブルーのズボンという装いである。」

『赤く染まるヴェネツィア』には、そのように書いてあります。
スカイブルーのパンタロンだったのですね。
「パンタロン」pantalon はズボンのこと。イタリアの喜劇の役柄、「パンタレオーネ」が語源だと考えられています。
どなたかスカイブルーの脚にぴったり合ったパンタロンを仕立てて頂けませんでしょうか。
名前は「ミュッセ」にいたしましょう。

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