銀座とギャバ

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銀座は、東京の顔ですよね。それも特に美しい顔でしょう。
少し前までの銀座は、水の都でもあったんだそうですね。「数寄屋橋」の名前があるように。

🎶 銀座九丁目は 水の上

昔、神戸一郎が歌った『銀座九丁目は水の上』に、そんな歌詞が出てきます。

「銀座うらの酒場ルパンで 酔いからさめると いつのまにか正月元旦だ 」

小津安二郎の『日記』に、そのような一節が出てきます。昭和九年の、一月一日のところに。
小津安二郎は大晦日からルパンで飲んでいたのでしょうか。まさに「旧き佳き時代」というべきでしょう。
「ルパン」は、昭和三年の開店。当時有名だった「お夏」がはじめたカフェエだったという。お夏の本名は、高橋雪子。ここに通いはじめたのが、永井荷風や、林
芙美子、川端康成。昭和十一年には、バアに。それで「文壇バア」としても識られるようになったんだそうですね。
ルパンと同じく今も健在なのが、「はち巻き岡田」。大正五年の創業というから、古い。岡田庄次郎がはじめたので、「はち巻き岡田」。
「はち巻き岡田」の常連だったのが、水上瀧太郎。
大正十二年、関東大震災で、銀座も焼野原に。とにかく品川の海が見えたんだそうですから。
関東大震災後、すぐに店を開けたのが、「はち巻き岡田」。これに感動した水上瀧太郎は、『銀座復興』を書いています。

「復興の魁は料理にあり
滋養第一の料理ははち巻きにある」

震災後、そんな毛筆の貼り紙を出したと、『銀座復興』に書いてあります。

「実際、彼女は、戦後の銀座のレストオランなぞ、よく知らなかつた。」

獅子文六が、昭和二十五年に発表した小説『自由学校』にそのような一節が出てきます。
「彼女」とは、駒子のこと。駒子が隆文と一緒に銀座で食事をする場面。
獅子文六の『自由学校』には、こんな描写も出てきます。

「お約束の、赤いスェーターに淡青白ギャバのスカート、白いショルダー・バッグというイデタチで………」

獅子文六の『自由学校』には、何度か「ギャバ」と出てきます。
ギャバディン gabardine
は、綾織地。ウールもあり、コットンもあります。そのギャバディンを短くして、「ギャバ」。つまり昭和二十年代の日本で、それくらいにギャバディンが流行ったのです。とにかく「ギャバディン文化」の言葉も生まれたほど。
どなたか純白のウール・ギャバディンでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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