アラスカとアラン

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アラスカは、アメリカの地名ですよね。アラスカは1959年に四十九番目の州になっています。
アラスカはアメリカの州のうちで、もっとも広い面積と、もっとも少ない人口の州でもあるんだそうです。
その昔、アラスカに行きたいと思ったことがあります。映画『アラスカ魂』を観て。ジョン・ウエインに憧れて。1969年頃のことです。『アラスカ魂』の時代背景は、1900年に置かれています。この頃のアラスカで、ゴールドラッシュがはじまっているので。
『アラスカ魂』の主題歌を、ジョニー・ホートンが歌って。「ノース・トゥ・アラスカ」。これも映画とともにヒットしたものです。
1900年代にアラスカに住んだ日本人に、フランク安田がいます。「アラスカの聖人」とも呼ばれた人物。当時のアラスカに貢献した稀な日本人だったので。
このフランク安田に興味を持ったのが、作家の新田次郎。新田次郎の小説『アラスカ物語』は、フランク安田が主人公になっています。
新田次郎は昭和三十二年に、『北極光』を仕上げて。これもまた、フランク安田を描いた物語だったのですが。でも、新田次郎は『北極光』に満足することなく、『アラスカ物語』に挑戦。それで実際にアラスカ取材を行っているのですね。「作家魂」とでもいえば良いのでしょうか。
それで昭和四十八年にアラスカに。そのアラスカ取材を含めて筆を執ったのが、『アラスカ物語』なんですね。
新田次郎のアラスカ取材では多くの人が協力してくれたらしい。その頃アラスカに住んでいた、大竹 武教授だとか。
新田次郎はアラスカで睡眠不足に。緯度の関係で夜がやって来ないので。そんな時には大竹教授が自宅に招いてくれて、和食を振舞ってくれたそうです。

「白米、味噌汁、糠味噌漬け、海苔、佃煮等なんでもあった。天麩羅も御馳走になったり、スキヤキも戴いた。

新田次郎は『アラスカ物語』に、そのようなことも書いています。『取材余話』として。

昭和三十五年にアラスカに旅したお方に、中谷宇吉郎がいます。中谷宇吉郎は雪や氷の研究のためにアラスカを訪問しているのですが。その時の紀行文、『アラスカと氷河』に詳しく述べられています。

「アラスカは物価が非常に高いそうで、ここの夕食では、三ドル半とられた。日本貨にすると千三百円くらいになる。しかし前菜、カクテル、小蝦、野菜サラダ、大きい紐育ステーキ、アイスクリームとたいへんな御馳走である。珈琲とパンはもちろん無制限で、かつ無料である。」

これはアンカレッジのホテルに近いレストランでのこと。中谷宇吉郎は次の日、アンカレッジから、フェアバンクスへと飛行機で飛んでいます。

昭和三十四年からしばらくの間、アラスカに住んだ作家に、大庭みな子がいます。これはご主人の仕事の関係で。

「蟹、えび、鮑、鰊、数の子など豊かな食膳も愉しめるし、季節には色々な野苺を摘んで、ジャムやパイをつくるのも女房族の楽しみのひとつである。」

大庭みな子は『アラスカ記』と題する随筆の中に、そのように書いています。
アラスカが出てくる小説に、『ホームシック産業』があります。アイルランドの作家、ヒューゴ・ハミルトンの短篇に。

「アラスカで毛皮の下に厚手のアランセーターを着て、小さなブリキの笛を凍えた唇に当てている人々が思い浮かぶ。」

この小説での「わたし」はアイルランドの製品を輸出する会社に勤めている男。また『ホームシック産業』には、こんな描写も出てきます。

「粗い羊毛のおなじみのにおいを間違えるはずがない。
」。

これは「わたし」が社長からアランセーターをプレゼントされる場面として。
アラン・スェーターは、未脱脂ウールが用いられます。そのオイルの匂いが特徴でもあるのです。オイルが含まれているから、水を弾いてもくれるのですが。
どなたか本格的なアラン・スェーターを編んで頂けませんでしょうか。

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