バビロンとハヴェロック

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バビロンは、古代都市のことですよね。昔、メソポタミアにあったという。ユーフラテス川に沿った地域に。
Babylon と書いて「バビロン」と訓みます。紀元前十六世紀の頃には、世界最大の都だったと伝えられています。
英語式には、「バベル」とも。「バベルの搭」は有名でしょう。あるいはまた、「バベルの空中庭園」だとか。
今現在も、バビロンの遺跡が遺っています。古代バビロンの都がほんとうにあったのは、間違いありません。

「安土のセミナリオは、ゆめバベルの搭であってはならぬ、オルガンチノ様が申されました。」

井伏鱒二が、昭和二十八年に発表した小説『かるさん屋敷』に、そのような一節が出てきます。
これは歴史上名高い、「安土セミナリオ」を主題にしての物語になっています。
井伏鱒二は同じ年にも、『安土セミナリオ』を書いています。井伏鱒二がこの時、安土セミナリオに強く関心があったのは、間違いないでしょう。
余談ではありますが、「かるさん」は「軽衫」のこと。もともとはポルトガル語の、「ズボン」。これにヒントを得た軽い脚衣を意味したものです。
井伏鱒二の『かるさん屋敷』を読んでおりますと。

「この玄九郎の殿に、我らの合羽を出してつかはせ。せんころ求めた、あの長めな黒い羅紗のがよかろうぞ」

そんな科白が出てきます。安土桃山の時代に、すでにウール地のカッパが用いられていたのでしょう。

バビロンと題につく小説に、『バビロンに帰る』があります。アメリカの作家、フィッツジェラルドが、1931年に発表した物語。原題もまた、『バビロン・リヴィジテッド』になっているのですが。

「彼は覚えていた。たったひとつの曲を演奏させるために何枚ものフラン札がオーケストラに与えられたことを。タクシーを呼んだだけで何枚もの百フラン札がドアマンに放られたこと。」

これは故き佳き時代の巴里を再訪する内容になっていますつまり物語の主人公にとっては、1930年代はじめの巴里が、バビロンにも想えたのでしょう。日本語訳は、村上春樹。
村上春樹は、フィッツジェラルドの『バビロンに帰る』を偏愛した作家でもあります。

「これは間違いなくフィッツジェラルドのA+の傑作である。」

村上春樹は随筆『「バビロンに帰る」ためのノート』に、そのように書いてあります。
村上春樹が多くのフィッツジェラルドの作品の中でも、特に『バビロンに帰る』を高く評価していたことが窺えるでしょう。

バビロンが出てくる小説に、『ヤトラカン・サミ博士の椅子』があります。牧 逸馬が、1924年に発表した短篇。

「が、この雄壮な無限層搭の頂きには、ばびろにあと、アッシリヤと、エジプトと、ローマと、そしてドラヴィデア王国の星たちが称神の舞踏を踊りつづけ」

そんな一節が出てきます。これは物語の主人公がインドを旅する内容になっているのですが。
また、この短篇には、帽子の話も出てくるのですね。

「帽子のうしろに日覆布を垂らしたシンガリイス連隊の行進」。

ここでの「日覆布」は、「ハヴェロック」havelock のことかと思われます。
1850年代に、英国の、サー・ヘンリー・ハヴェロックがインドで考案したので、その名前があります。
どなたかハヴェロックが粋に思える帽子を作って頂けませんでしょうか。

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