ステーキは、ビフテキのことですよね。ビーフ・ステーキを短くして、ビフテキなんでしょう。ビーフを鉄板で焼くだけのもの。そんなふうにも思うのですが。実は簡単そうで、奥の深いものなのでしょうね。
「ヲイ姉さん。ヲムレツで酒だ。後ハビフテキといふ注文だヨ。」
明治十八年に、坪内逍遥が発表した小説『当世書生気質』に、そんな科白が出てきます。これは牛肉屋の二階に上がって、料理を頼んでいる場面。ここから想像するに、明治十八年には、「ビフテキ」がごく当たり前の言い方になっていたのでしょう。ビフテキなのか、ビーフステーキなのか。
「ソーサ先づ「ビーフスキス」に「ヲムレツ」、シチウ位なもんですか ビールは獨逸のラーゲル宜い。」
明治二十年に石橋忍月が発表した小説『捨小舟』に、そのような一節が出てきます。石橋忍月は、「ビーフスキス」と書いてあるのですが。
これは友人の、上野、不忍池の下宿に行って、洋食屋の「青陽楼」から出前を取ろうとしている場面でのこと。おそらくこの時代から「ビーフステーキ」に近い言い方もあったのでしょう。
ビーフステーキが好きなのはなにも日本人に限ったことではありません。英国人もまた。
1709年のロンドンに、「ビーフステーキ・クラブ」が誕生しています。これは当時の文人たちが集う会。必ず、食事はビーフステーキとワインと決められていたので。
また、1735年のロンドンでは、「サブライム・ソサエティ・オブ・ステーキ」が発足。これを言い出したのは、ピーターバラ卿。ピーターバラ卿がある時、ジョン・リーチと食事。その時のビーフステーキが極上だったので。毎週、日曜日の夜には、ビーフステーキを食べようじゃないかと。余談ではありますが、ジョン・リーチはその頃、「コヴェントガーデン劇場」の支配人だったお方。
その会の主旨は、最高に美味しいビーフステーキを食べようというものであったのですが。
最高に美味いステーキを世界中、探した男に、マーク・シャッカーがいます。マーク・シャッカーはカナダ、トロントに生まれたコラムニスト。世界中のステーキを食べ歩いた結果、『ステーキ!』の本を書いています。
では、なぜ、マーク・シャッカーは世界最高のステーキを探そうと思ったのか。そのむか、チリで、極上のステーキに出会ったことがあるので。
「ずば抜けてやわらかいというほどではなかったが、そのおいしさに僕は圧倒された。食べ終わると、皿を口の高さまで傾け、ゆっくりと一息にとびきり旨い肉汁を飲み干した。」
これは著者のマーク・シャッカーが、チリのサンティエゴで体験したステーキについて。もう一皿注文したかったが、次の飛行機の時間が迫っていたので、断念したとも。
このマーク・シャッカーが、牛肉の部位として好むのは、「ストリップ・ロイン」。これはテンダーロインの近くにある部位なんだとか。
牛肉の部位ということなら、「マキ」を勧める専門家も少なくありません。
「マキ」はちょっと楔形に似て、フカヒレにも似ているので、俗に「フカヒレ」とも呼ばれるんだそうですね。
牛肉のリブに巻きついている部分で、一頭から3キロくらいしか取れない。その「マキ」も、できることなら、佐賀牛。佐賀牛のマキなら、間違いなく極上のステーキになるとのことです。
さて、ステーキの焼き方は。「休み休み」。いっぺんに火を入れるのではなくて。少し火が通ったところで、火から離す。休み休み。うーん、なるほど。
ステーキが出てくる小説に、『本をめぐる輪舞の果てに』があります。1987年に、英国の作家、アイリス・マードックが発表した物語。
「ステーキとキドニパイ、カレーとポテトは熱いのを出すはずだった。」
これはホームパーティーの準備をしている場面。
また、『本をめぐる輪舞の果てに』には、こんな文章も出てきます。
「ぴったり体に合った黒のビロードの銀ボタンのついたジャケット、服のあたりに揺れるスポラン、靴下にみごとにおさまった銀柄の短剣」
これはスコットランド出身の、デイヴィッド・クリンドのパーティー衣裳として。
スポーランsporran は、スコットランドの民族衣裳のひとつ。腰鞄。レザー製とファー製とがあります。ファー製は、正装用。
「木魚の名をスポーランと云ふ。」
夏目漱石は『永日小品』の中に、そのように書いてあります。その昔、スコットランドで見たスポーランのことを。たしかに日本で近いものを探せば、木魚の形に似ているかも知れませんね。