パンは、毎朝のように食べるものですよね。和食でのご飯に近い食物でしょう。
朝は味噌汁にご飯というお方もいらっしゃるでしょう。また、その一方で、朝はパン食という場合も珍しくはありません。
ひと口に「パン」とは言いましても。その種類の多いこと。星の数ほどのパンの種類、そんなふうに言いたくなってくるほどです。
まず食パンがあり、クロワッサンがあり、ブリオッシュがあります。また、それぞれに粉の種類があるでしょう。たとえば、全粒粉だとか。
バゲットが好き。そんなお方もいらっしゃるに違いありません。
「私が朝食に望むものといえば、皮はパリッとして中は噛みごたえのある焼きたてのバゲットに酪農場製の上等のバターを塗ったものと、それを流しこむ一杯のカフェオレだけだ。」
アメリカの作家、スーザン・セリグソン著の『パンをめぐる旅』に、そのような一節が出てきます。
スーザン・セリグソンはニュウヨーク生まれの女性。パン好きが高じて、世界中のパンを食べ歩いたお方。そのスーザン・セリグソンの言葉ですから、納得してしまいます。
余談ですが。バゲットの皮のことを、「クラスト」。中身のことを、「クラム」と呼ぶんだそうですが。
フランスの一般家庭でごく常識的にバゲットを食べるようになったのは、1920年代のことだったとか。それ以前には、「ミッシュ」の名前の大型パンが主食だったという。
1920年代はじめ新しい法律が生まれて。午前四時以前に働かせてはいけない。それで焼き上がりまでの時間が比較的短いバゲットを多く焼くようになった結果だとか。
もちろん、客の事情もあったでしょう。ふたりで食べてちょうど良い大きさだとか。
また、客の好みの問題もあったでしょう。多くのフランス人は、外側のパリッとしたところが食べたいと思った。それで皮の多い長い棒のようなバゲットが好まれるようになったのだとか。
バゲットはもちろん小麦粉が原料。今の日本では、「丸信製粉」の「スワッソン」が多く用いられているようですね。
これはフランス産小麦粉100%の粉になっていますので。フランスで食べるバゲットに近い食感に仕上がるとのこと。
バゲットは時間が命。焼き上がりから時間が経つほど歯ざわりが異なってきます。
今も昔もバゲットの焼き上がり時間を表示したりするのは、そのためなのです。常連客はそれを目指して行列を作ったりするわけですね。
日本ではパンが出てくる随筆に、『餡パンそのほか』があります。昭和四十一年に、森銑三が発表した物語。
「パンといへば、以前は売子が大道を売つて歩くことが行はれてゐた。」
森銑三は、そのように書いてあります。もちろん、明治のはじめ頃の話として。
「アジアのパンヨーロッパのパン、木イ村屋のパーン」と拍子をつけた口上で、売り歩いた。そんな話も出てきます。当時としては珍しく西洋服にシルクハットをかぶって、ブリキの太鼓を前に吊って。これでいっぺんに「木村屋」の名前が有名になったそうです。
木村屋とは別に、「ロシヤパン」というのもあったらしい。「ロシヤパン」も同じように口上を述べながら町々を売り歩いたとのことです。
古い明治の時代を偲ぶには、森銑三の随筆を読むに限ります。
「さあ、これとお著換へ」と、出してくれたのを見ると、それは真新しい印半纏だつた。」
これは小僧さんの新吉に差し出された半纏について。
昭和十年に、森銑三が発表した『印半纏』に、そのような一節が出てきます。
半纏。それは和風カーディガンにも似ています。前紐のなくて、脱ぎ着に便利なものです。部屋着に最適。
どなたかスェーターの上に重ねたくなる半纏を作って頂けませんでしょうか。