アラビアは、地域の名前ですよね。アラビア半島があり、アラビア海があります。
アラビア数字だとか。123 と書くのが、アラビア数字。ロオマ数字ではない方です。
でも、実際にアラビアに行くと、「インド数字」と呼ぶんだそうですね。インドから伝えられた数字なので。
西暦773年に、あるインドの天文学者がアラビアにやって来て、インド数字を教えた。123 を。
アラビア語はふつう右から左へと書いてゆく。でも、数字だけは左から右へ。これはインドの習慣だったので。
なんだか昔の日本の文字の書き方に似ているのですが。
いつもアラビアが頭につけられて呼ばれる英国人に、「アラビアのロレンス」がいます。『アラビアのロレンス』は何度も映画にもなっていますから、ご存じのことでしょう。
アラビアのロレンスの本名は、トオマス・エドワード・ロレンス。1888年8月16日、ウエールズのカーナヴォン、トレマドックに生まれています。
トオマス・エドワード・ロレンスは幼い頃から優秀で、五歳で新聞を読んだとも伝えられています。
それはともかく若き日のロレンスが読書好きだったのは、間違いないでしょう。
1907年、ロレンスはオックスフォード大学、ジーザス・カレッジに入っています。その頃から体育にも優れ、勉強もよくできた。でも、学友からは、奇人変人だと思われていたらしい。
人づきあいがあまり好きではなかったので。ある時、好きな食べ物はと、聞かれて、「パンと水」と答えたことがあったという。事実、大人になってからも菜食主義で、酒も煙草も口にしなかったそうですね。
その一方で好きだったのが、考古学。ことに十字軍の遠征に興味を持っていたそうです。
第一時世界大戦の時、陸軍に配属されています。
「ここにいる六千名の多くは持ち物がある駱駝乗りで、彼らがコーヒーを沸かす炉の所在は、輪に並べた駱駝の鞍の輪郭で遠方からでも分かる。」
ロレンスの『知恵の七柱』に、そのように書いてあります。ロレンスがアラビア軍と一緒に戦った時の記録として。当時のアラビア軍がコーヒーを飲んでいたことも分かるでしょう。また、移動手段が駱駝だったことも。
ロレンスは駱駝に乗るのもうまく、何時間乗っても疲れることがなかったという。
ロレンスのもうひとつの特徴は、イギリスの軍服を着なかったこと。アラビア人の風俗で行動したことです。
頭に白い、長いスカーフを巻いて、それを「アーガル」で留めておいた。
アーガルは金製の紐で、いわば「スカーフ留め」。ヘッド・バンド。
アラビアで恐いのは、ハムシーン(砂嵐)。長いスカーフはハムシーン避けでもあったのでしょう。
どなたか街でも使える「アーガル」を作って頂けませんでしょうか。