ヴェネツィアは、ヴェニスのことですよね。ヴェニスは水の都とは、よく言われているところでしょう。
水の都にゴンドラを浮かべて日永のんびり過ごすのは、優雅この上もなしであります。
明治四十五年にヴェニスを旅した詩人に、与謝野寛がいます。
「ホテルで昼食を済ませてからゴンドラを雇ってサンタ・マリア寺を始め沢山なお寺廻りをした。」
与謝野寛は紀行文『ヴェネツィア』の中に、そのように書いてあります。
また、与謝野寛はヴェニスの裏町にも足を伸ばしているのですが。
「此辺の狭い町角では薩摩藷や梨を茹でて湯気の立つのを売って居た。」
そんなことも書いています。梨は茹でると美味しいのでしょうか。
1991年にイタリアで出版された本に、『ヴェネツィア料理大全』があります。この中に、昔のヴェネツィアの街の食についての話が出てくるのですが。
「そしてサン・カッシャーノのカッレ・デッラ・レジーナにあった『アリスティデ』が最後の〝フリトイン〝だった。今を去ること20年ほど前のことである。」
ここでの「フリトイン」は、「揚げ物屋」のこと。これはまあ、イギリスでいうところのフィッシュ・アンド・チップスに近い立ち食い屋であったらしい。
鱈などのフライを、たくさんのポレンタの上にのせて、喰わせる店のこと。必ずしも上品ではなかったかも知れませんが、ヴェネツィア人にとっては郷愁の味だったものと思われます。
1983年から1984年にかけてヴェネツィアに暮らした日本人に、矢島 翠がいます。矢島
翠はその著書『ヴェネツィア暮し』の中で、こんなことを書いているのですが。
「よく熟れたトマトの明るい赤、朝鮮あざみの紫がかった緑、にんじんにセロリ、ズッキーニ。さまざまな形と歯ざわりと香りを持つ、サラダ用の小さなつまみ菜。」
これはヴェネツィアの市場での様子として。ヴェネツィアの人びとは市場で買物することが多いんだそうですね。
「ゴルゴンゾーラ・チーズも二00グラム」 「ドポ? 」。
市場ではたいてい量り売りなので、チーズなども何グラムと言って、欲しいだけ分けてもらう。その時、必ず聞かれるのが、「ドポ? 」。「お後は何か?
」の意味なんですね。
ヴェネツィアが出てくる小説に、『対面』があります。フランスの詩人、アンリ・ド・レニエが書いた物語。
「ヴェネツィアははてしなく私の気に入っている。この風土、この色彩、この光を愛する。」
アンリ・ド・レニエはそのように書いてあります。また、『対面』には、こんな描写も出てきます。
「彼はいつものように、たっぷりとした長外套をまとい、コメディアめく黄色い顔をして、立ったままであった。」
「彼」は、プレンティナリアという人物。「長外套」は、原文では、「ウープランド」houppelande になっています。
十九世紀に流行した外套。たぶん地名の「ウープランド」と関係しているのでしょう。スゥエーデン中部の街の名前。
どなたかウープランドを再現して頂けませんでしょうか。