シムノンは、推理作家の名前にもありますよね。もちろん、フランスのジョルジュ・シムノンのことであります。
simenon と書いて「シムノン」と訓みます。
ジョルジュ・シムノンは1903年12月13日、ベルギーのリエージュに生まれています。お父さんは、デジュレ。お母さんは、アンリエットだと伝えられています。
1920年に、ジョルジュ・シムノンは『めがね橋』を書いています。若い頃からの文学青年だったのでしょう。十七歳の時に。
その後、兵役を勤めて。1923年に恋人レジーヌ・ランションとともに、巴里に出ているのですが。
ジョルジュ・シムノンは船がお好きで。1929年には自分の船を持っています。「オストロゴス号」です。『メグレ警視』の案はこの船の中で、思いついたものなんだそうですね。
もっともこの『メグレ警視』の前に、『十三の神秘』を仕上げているのですが。
昭和三十年頃、シムノンに会った作家に、木々高太郎がいます。その時のシムノンはカンヌの大邸宅に住んでいて。純白のスーツに、真っ赤な靴下姿で、あらわれたそうですが。
この時。木々高太郎は、「日本にいらっしゃいませんか?」というと、「行きたい」。ただしホテルではなくて、個人の家に泊めてもらいたい。
それで白羽の矢がたったのが、江戸川乱歩。江戸川乱歩は離れに完全の洋館を建てて。でも、なにかの都合で、シムノンの来日は延期になったという。
シムノンに会った日本人に、桶谷繁雄がいます。桶谷繁雄は当時、「東京工業大学」の名誉教授だったお方。シムノンの愛読者だったので。
1968年5月1日のこと。この時のシムノンは、スイスのローザンヌに近い、エパランジュという町に住んでいて。
桶谷繁雄は巴里からレンタカーで、エパランジュへ。桶谷繁雄は近くのカフェに入って。「エパランジュはどっちですか?」すると、ボーイが「どなたをお訪ねするんですか?」
桶谷繁雄が「シムノン」と言うと。「ああ、大きな家ですから、すぐに分かりますよ。」
行ってみるとたしかに大邸宅。庭に温水プールがあったそうですね。
また、医療設備が万全で、病院が開けるくらいだったとも。
1962年に、シムノンを撮影した写真家に、ロベール^・ドアノーがいます。
町を散策しているシムノンのふだんの姿を。
シムノンはパイプを咥えて、ソフトをかぶっています。
ソフト帽。フランスなら、「シャポー・ムウ」
chapeau mou でしょうか。「やわらかい帽子」の意味。
どなたか1960年代のシャポー・ムウを作って頂けませんでしょうか。