スコッチは、ウイスキイのことですよね。
Scotch と書いて「スコッチ」と訓みます。
スコッチはスコッチ・ウイスキイのことに外なりません。スコットランド産のウイスキイなので、スコッチ・ウイスキイ。これを短くいたしますと、「スコッチ」となるわけです。
バアのカウンターに座って、ひと言、「スコッチ」。これですぐに通じる便利な言葉でもあります。
あとはもう、ストレイトか、オン・ザ・ロックスかの選択があるくらいのものでしょう。
ところが、スコッチにはもうひとつの意味があるのですね。
「スコッチ・トゥイード」。スコットランド製のトゥイードを短くして、「スコッチ」。
ふたつのスコッチ。要は身体を中から温めるか、外から温めるかの、違いなのですが。
「須山は外套の衣兜(かくし)に手を突込みスコツチの鳥打帽を被つた頭を前に出して、」
明治三十一年に、内田魯庵が発表した『くれの二十八日』に、そのような一節が出てきます。
ここでの「スコツチ」が、スコッチ・トゥイードであるのは、言うまでもないでしょう。
「私はスコツチの冬服を着たり、アルパカの夏服を着たりして、てくてく歩いて行く私の姿を其処に見た。」
田山花袋が大正六年に発表した『東京の三十年』に、そのような文章があります。
ここでの「スコツチ」もまた、スコッチ・トゥイードなのですね。
明治の時代には、「スコッチ・ウイスキイ」の発想はなかったのでしょう。
「今頃めつたに見られないとつときのスコッチ・ウィスキイなんかがあつた。」
三島由紀夫が、昭和二十九年に発表した小説『鍵のかかる部屋』に、そのように書いてあります。
これは戦後間もなくの東京が背景になっているのですが。
「一雄」が「桐子」の家を訪ねた場面として。この『鍵のかかる部屋』には、「十円の蜜豆をおごつた。」そんな文章も。
蜜豆が十円だった時代のことなのでしょう。
それはともかく。トゥイードを指しての「スコッチ」は明治語であり、ウイスキイを指しての「スコッチ」は昭和語。そう言って間違いではないでしょう。
「このスカッチにロクフォール…… ま、文句はあるまい」
村松友視が1998年に発表した短篇『セピア色やねん』に、そのような科白が出てきます。
「クロサワ先生」の自宅での様子として。もっともここで、「スカッチ」なのか、「スコッチ」なのかの、論争もあったりするのですが。
「ベージュのズボンにきっちりとした折目がつき、ベルトはやや幅広でバックル付き、靴は濃い茶色のブーツをはいている。」
村松友視が昭和五十七年に発表した小説『時代屋の女房』に、そのような一節が出てきます。
『時代屋の女房』は、1983年に、夏目雅子と、渡瀬恒彦との共演で映画化もされていますから、よくご存じのことでしょう。
『時代屋の女房』は、昔ほんとうに大井町にあった骨董屋がモデルになっています。
それはさておき。「ズボン」もよく遣う日本語。なぜ、「づぼん」ではなく、「ズボン」なのか。
フランスの「ジュポン」jupon
から来ているので。フランス語の「ジュポン」は、女性の下穿きのこと。まことに旧い言い方ではありますが、ズロースにも似たものであったでしょう。
その「下穿き」がなんらかの誤解に基づいて、「ズボン」の日本語が生まれたものでしょう。
「ズボン」もまた、明治語のひとつであります。
どなたか美しいラインのズボンを仕立てて頂けませんでしょうか。