脚の親友
パンツはズボンのことである。少し前には「スラックス」とも呼ばれたものだ。今は「パンツ」と言う方が多いのではないか。
スラックスよりもはるか以前には「パンツ」はむしろ下着のことであった。今はそれが逆転して「パンツ」はズボンを指すことが多い。
手許の英語辞典を開いてみると、「主にアメリカで使われる表現」とある。「パンツ」はアメリカ、「トラウザーズ」はイギリスということなのだろうか。
「あらゆる安価なトラウザーズのこと。」
いつもお世話になるマリイ・ブルックス・ピッケン著『ファッション辞典』 (1957 刊 ) では「パンツ」をそのように説明されている。1950年代のアメリカでの「パンツ」には「安価」の印象が含まれていたのだろうか。
「その赤い顔をした男はボトル・グリーンの上着に、油で汚れたパンツをはいていた。
1842年『スピリット・オブ・ザ・タイムズ』紙(フィラデルフィア) 8月29日号の一文。
これはアメリカでの「パンツ」の比較的はやい例であろうと思われる。つまり1840年代からアメリカでは「パンツ」が少しづつ使いはじめられていたのであろう。では、それ以前にはどうであったのか。
「その事務所には多くの流行紳士がいた。多くのコート姿、多くのウエイストコート、多くのパンタルーンズが見られた。」
1819年『セントルイス・アンクワイアラー』紙9月15日号の記事の一節である。要するに「パンツ」の前には、「パンタルーンズ」と言った。というよりもパンタルーンズを省略して「パンツ」になったのである。
パンタルーンズ pantaloons を略して、パンツ pants にしたのはアメリカ。しかしパンタルーンズはもちろんイギリスでも使われていたのである。
「ミリタリー・ブーツに合わせた、ナンキーンのパンタルーンズ……」
1806年『ザ・スピリット・オブ・ザ・パブリック・ジャーナルズ』誌にもそのように出ている。パンタルーンズは英語、フランスでは、「パンタロン」 pantalon。イタリアでは、「パンタロー二」 pantaloni。この偶然性はどこから来ているのか。
その源は、コンメディア・デラルッテ commedia dell’ arte にある。コンメディア・デラルッテは十六世紀のイタリアにはじまった喜劇のこと。これは仮面を付けての即興劇であった。つまりあらかじめ用意された台本のないことが特徴とされた。
コンメディア・デラルッテには芝居があり、歌があり、踊りがあり、パントマイムがあり、アクロバットがあった。コンメディア・デラルッテは今のサーカスをはじめ、多くの演芸に影響を与えたものと考えられている。
脚本のない演劇ではあるのだが、登場人物は明確に定められていた。たとえば、アルレッキーノ。これは、道化師の役。道化師であるから、滑稽な帽子を被り、赤、青、緑のダイア柄の衣裳を身に着けて、舞台にあらわれる。このアルレッキーノは今日のピエロの元祖であろう。
アルレッキーノと並ぶ役柄に、パンタレオーネ Pantaleone があった。パンタレオーネは年老いた商人という設定。金持ちではあるが、強欲な性格であり、召使い役の「ザンニ」にからかわれて、客席を沸かす。
そのパンタレオーネの舞台衣裳が、黒いマント。黒いマントの下に赤いジャケットに、赤いズボン、そして先の尖った黄色い靴。この恰好が出てきたなら、間違いなくパンタレオーネだったのだ。
パンタレオーネの赤いズボンとは細い、脚にぴったりしたもので、今ならむしろタイツと呼ぶべき代物であったのだが。
コンメディア・デラルッテが広く知られるようになり、パンタレオーネも有名になってゆく。そこでパンタレオーネの穿いている細いズボンをも、「パンタロー二」の名前で呼ばれることになるのである。
パンタロー二のフランス版が、「パンタロン」であり、イギリス版が「パンタルーンズ」というわけなのである。そしてパンタルーンズから「パンツ」が生まれたのは、すでにふれた通りである。フランスでの「パンタロン」は十六世紀にすでに登場しているというから、古い。またイギリスでもほぼ同じ時期に「パンタルーンズ」が用いられるようになっている。いかにコンメディア・デラルッテが流行したかが窺えるであろう。
「オレの腹がさらにセリだしたのかと彼は疑ったそうであるが、実はパンツが、水洗いされることによって思いきり収縮していたのである。」
古波蔵保好著『男を創るセンス』 (昭和五十一年刊 ) にはそのように書かれている。これはある男がジーン・パンツを買って、洗濯後に穿いてみると縮んでいたという笑い話である。が、その前にはこうも書いているのだ。
「変わりジャケットにスラックスという組合せは……」。
昭和五十年代にはスラックスとも言い、パンツとも言ったのであろう。いや、スラックスからパンツへの移行期であったのかも知れないのだが。