ホームスパン(homespun)

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人肌郷愁布

ホームスパンは紡毛地による平織地のことである。トゥイードに似ているがトゥイードそのものではない。
ホームスパンは原則として手紡ぎ、手染め、手織りによって仕上げられるものだ。トゥイードよりももっと原始的で、もっと野趣にあふれたもの、そうも言えるだろう。
「ホームスパン」 homespun を直訳すれば「家内織」であろうか。言い得て妙という外ない。もともとは自給自足のための布地だったのだ。自ら羊を飼い、その毛を刈り、紡ぎ、織ったのである。自分たちの衣服を作るために。そこには一切の作為はなく、売物になるとも思っていなかった。
今、辞書でhomespunを引いてみると、生地とは別に、「飾らない」、「朴訥」などの意味もあることが分かる。ここからもホームスパンの特質が理解できるだろう。

「大きく粗い緬羊毛を手で紡いだ紡毛絲を經・緯とし、平織または斜紋組織に手織機で織った、地合のあまり密でない紡毛織物である。」

三省堂編『婦人家庭百科辞典』 (昭和十二年刊 ) には「ホームスパン」をそのように説明している。少なくとも昭和のはじめから、ホームスパンの存在は知られていたに相違ない。
ホームスパンのなによりの特質は、不規則であることだ。そもそも糸が不揃いであるのだから、それで織ったホームスパンが不規則な表面感を持つのは当然でもあろう。と同時にそれはあらかじめ狙った不規則ではない。あるがままの、自然そのものの、不規則。その自然の不規則に美を発見した人間は美事である。
トゥイードがスコットランド生まれであることは、言うまでもない。が、そのトゥイードは、アイルランドから齎されたものではないかと、考えられている。
ごく単純考えてもともとアイルランドで織られていたホームスパンがスコットランドに渡ってトゥイードになったのではないか。私は勝手にそんなふうに想像している。もっとも「ホームスパン」は英語であって、はるか遠い昔のアイルランドで、その手織地がなんと呼ばれていたのか知らないのだが。

「その人物はホームスパンの衣服だけを身に纏っていた。」

英国の辞書編纂家、ジョン・フロリオが1591年に書いた書物の中に、すでに「ホームスパン」が使われている。おそらくは英語としての、比較的はやい例であろう。つまり十六世紀には、イングランドでもホームスパンの存在は知られていたものと思われる。
一方のトゥイードが1820年代の登場であることを想うまでもなく、ホームスパンの歴史の古さが偲ばれるに違いない。では、日本でのホームスパンは何時ころから知られていたのか。

「小林はホームスパン見た様なざらざらした地合の背広を着てゐいた。何時もと違つて其洋服は洋袴 ( ヅボン ) の折目がまだ少しも崩れてゐないので誰の眼にも仕立卸としか見えなかつた。かれは變り色の靴下を隠すやうに津田の前に坐り込んだ。」

夏目漱石著『明暗』 ( 大正五年発表 ) の一文である。たしかに「小林」のホームスパンは仕立おろしなのだ。それはあるデパートの飾り窓に出ているのを見て、同じように仕立ててもらったのである。そのホームスパンのスーツは三つ揃いで、二十六円だった。これは小説にあらわれたホームスパンとしてはかなりはやい一例であろう。
夏目漱石は英国留学の折、おそらくホームスパンを見たに違いない。あるいは自らホームスパンを着たこともあるのだろう。「變り色の靴下」は、アーガイル柄でもあったのか。ホームスパンのスーツであるから、常の靴下ではなく、大胆な色柄であった。なんとも念入りな描写ではないか。
この細かい、適切な表現は、夏目漱石がホームスパンを着たことを想像させるものである。

「白いヘルメットをかぶってゐた。白いズボンにホームスパンの上着であつた。」

佐藤春夫著『侘しすぎる』 (大正十二年刊 ) に出てくる一節。これは「清吉」が、「添田」の姿を想いだしている場面。
ホームスパンにはよく淡い、ミックス調の、グレイの生地があった。もしこれが淡いグレイのホームスパンに、ホワイト・フランネルズであったなら、さぞかし粋な着こなしであっただろう。

「白つぽいホームスパンの上衣の下に鼠色のスウエーターを見せて同じ鼠のフランネルを穿いた……」

谷崎潤一郎著『蓼食う虫』 ( 昭和四年刊 ) には、そのように書かれている。その頃、淡いグレイのホームスパンが流行ったものと思われる。と、同時にそれは当時の文士の好みにもあっていたのだ。大正から昭和にかけての文士は、ホームスパンの不規則の美を愛でたのである。

「今から三十年ほど前に、ロンドンのリメル・エンド・オールソップという店で、私は偶然めずらしいホームスパンを見つけた。それは第一次大戦前の製品でアイルランドのほんとうのホームスパンなのである。」

大田黒元雄著『おしゃれ紳士』 ( 昭和三十三年刊 ) の一文。昭和三十年頃から眺めて三十年ほど前ということは、1920年頃であろうか。そのホームスパンは白地にグリーンの縞柄になっていた。
「草染なので、そのグリーンは若草の色をしている。」
そうも書いている。要するに手染、手織の、昔ながらのホームスパンだったのだ。羨ましい限りである。

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